日本航空石川のドラフト候補は超素材型右腕。コロナ帰省でスケールアップ (2ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Sawai Fumi

 だが、それ以上に自覚していたのは、自身の野球に対する取り組みの甘さだった。

「高校に入学した頃は練習熱心なほうではなく、どちらかというと先輩がやっていることを見て、ただついていくだけでした。自分で考えて動くタイプではなかったです」

 中村監督も続ける。

「周りの言うことを聞かないわけではないのですが、練習に対する意識は高いほうではなかったですね。こちらとしても何度も会話をしながら指導していたのですが......」

 やんちゃな性格も手伝って、横道に逸れてしまいそうになることは何度もあった。そんな嘉手苅の意識が変わり始めたのは、2年の終わりの頃だった。

「自分は将来的にプロ野球選手になりたいと思ってここに来ました。でも、このままでは何も変わらないし、ここで終わるわけにもいかないと思いました」

 出場が決定していたセンバツ大会も迫り、徐々にモチベーションも上がってきた。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止に。大会中止決定の翌日、チームは解散となり、嘉手苅は地元に帰省することになった。今までの嘉手苅だったら、地元の友達と遊びふけっていたかもしれない。だが、嘉手苅は真摯に野球と向き合った。

「こういう時だからこそ、自分からやらないと、と思って......ほぼ毎日ひとりで練習していました。今までは帰省しても自分で何かをすることはなかったんですけど、(野球経験のある)兄とキャッチボールをしたり、走ったり......やれることは率先してやるようにしました」

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 帰省生活は2カ月以上に及んだ。石川に戻ったのは5月下旬だったが、嘉手苅の顔つきを見た指揮官は、変化を見逃さなかった。

「明らかに変わっていましたね。帰省する前と表情がまったく違っていて、練習でも自分から積極的に動くようになっていました。帰省の間に何があったのかと......」

 夏の代替大会ではエースとしてマウンドに立ち、決勝ではこれまで何度も苦杯をなめてきた星稜を破って優勝。そのあと甲子園で行なわれた交流試合でも鶴岡東(山形)戦に先発し5回4失点で敗れはしたが、140キロ台中盤のストレートを連発するなど、強烈なインパクトを残した。

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