1週間500球の制限に「公立つぶし」の声も。初適用の当事者たちが語る違和感 (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Nikkan sports

 大会中にもかかわらず、試合後に学校に戻ってシート打撃を実施。故障明けの2年生右腕・平川蓮を試し、「ストライクが入ったので、(ベンチに)入れると決めました」と、試合ごとにベンチ入り登録の入れ替えができる独自大会のルールを生かして、準決勝から急遽、平川をベンチ入りさせた。それぐらい苦しい台所事情。国際情報にとって原田に頼る以外の選択肢はなかった。

 決勝戦の前、有倉監督の頭には"残り75球"があったが、原田には球数を気にせず投げるようにと送り出した。

「体力的にもいっぱい、いっぱい。(自粛で)何もやってないなか、ここ(決勝戦)まで来ることができたので、配球を変えたりせず、いつもどおりのピッチングをさせてあげたいと思いました」

 6日間で4度目の先発マウンドとなった原田は、疲労から本調子ではなかったが、粘りの投球を見せる。1回から3回まで毎回失点するが、なんとか最少失点にとどめ、4回を終了して2対3と食らいついた。

 イニングが終わるごとに、国際情報ベンチには大会本部から「あと何球です」と伝令が来る。"そのとき"が来たのは5回一死だった。5番・高木和真の3球目に500球に到達し、大会本部から「このバッターまでです」と告げられた(※500球に到達したときの打者まで投げることができる)。

 原田はこの打者をレフトフライに打ち取るも、全国で初めてとなる球数制限による強制降板となり、レフトの守備へと回った。

 原田のあとは急遽ベンチ入りした平川が公式戦初登板。大会前は練習試合すら投げていなかったが、次打者をセカンドゴロに打ち取ると、6回も2人の走者を出しながらも何とか0点に抑えた。

 だが7回、左打者が3人並ぶクリーンアップに回る打順で登板した左腕の木村がつかまり1点を失うと、8回には4点を奪われ2対8。事実上、ここで勝敗は決した。

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