あいつよりもいいチームをつくりたい。激戦地・東京でしのぎを削る双子監督 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 1976年4月13日にそろって生を受け、小学校から大学まで同じチームでプレーした。そして「教員になりたい」という浩晃の進路に便乗する形で、英晃も教員を志望したという。

 初めて教員採用試験を受けるなかで、グループ討論という課題があった。6〜7名のグループで、名前を伏せてアルファベットで呼び合い、一つのテーマについて語り合う。なぜか芝兄弟は同じグループに入れられた。

 浩晃監督は「普通は同じ大学の人を外すと思うんですけど」と苦笑しながら、当時を振り返る。

「ヒデが『Dさん』で、僕が『Eさん』でした。同じ顔が並んでいるので、始まるときに面接官が『知っている人もいるかもしれないけど......』と言って、そこでひと笑いが起きていい雰囲気になって。緊張がほぐれて、全体的にいい話し合いができました」

 その結果、ふたりとも初めての教員採用試験で合格を手にする。だが、英晃は複雑な笑みを見せる。

「隣のヒロは群を抜いていいことを言っていたので、『こういう人間が教員になるべきだな』と感動していました。僕はその意見に賛同しているだけで、大した意見は言えなかったんです。なので面接官が勘違いして、『いいや、どっちも合格にしちゃえ』となったんじゃないかと自分では思っています」

 ともに高校野球監督になった現在は、毎年8月24日に「親戚カップ」という交流戦を組んでいる。なぜ「兄弟カップ」ではないかと言えば、もうひとつ驚きの縁があったからだ。

 5年前、小岩高校の監督を務めていた西悠介は、縁戚の葬儀から帰ってきた父から驚きの事実を聞かされる。

「親戚に双子の高校野球の監督がいるらしいぞ」

 西家と芝家の祖父母の兄弟が結婚しているという。もともと指導者同士のつながりがあった西監督は、すぐさま芝兄弟に連絡を取った。「せっかく親戚同士なのだから」と2017年から始まったのが親戚カップだった。浩晃監督は言う。

「『俺たち親戚らしいぞ』って驚きましたよ。それに不思議なのは、芝は数字で『48』と表わせますけど、西も数字で『24』と表せること。しかもちょうど半分の数字なんです。いやぁ、不思議だなぁと思って」

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