2020.03.06

センバツ21世紀枠、平田高・植田監督の
方針転換は「私立に勝つため」

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 1月24日、センバツ出場校が発表される午後3時を迎えると、ほどなくして校長室の電話が鳴った。21世紀枠でのセンバツ出場の吉報を知らされると、平田(島根)を率いる植田悟(うえだ・さとる)は喜びを噛みしめ、静かに微笑みながらつぶやいた。

「待つのは少しばかり慣れたんですが、選ばれるのは初めてなので、やっぱり慣れませんね」

 平田が21世紀枠の中国地区推薦校となるのは、2015、2018年に続いて、今回が3度目。過去2回はいずれも補欠校だった。植田自身も21世紀枠出場の結果を待つのは、前任の出雲を率いた2016年、平田の監督として迎えた2019年、そして今回で通算3度目。平田にとっても、植田にとっても”三度目の正直”を期したタイミングで、春の便りを手にした。

2017年春に母校である平田高校の監督に就任した植田悟氏 平田は今回が春夏通じて甲子園初出場。2度の21世紀枠補欠校だけでなく、前年秋の中国大会で8強入りして吉報を待った1986年も中国地区の補欠校。同年夏の島根大会で決勝まで勝ち進んだものの、浜田商に1−2の惜敗。”あと一歩”が遠かった。

 植田も平田で甲子園を目指したひとりだった。下級生時代から中軸に座り、島根県内で存在感を示したが、3年夏の県4強が最高成績。選手としての出場は叶わなかった。

 夢を絶たれた悔しさが残っていた植田に、当時の監督だった錦織正実は、こう語りかけたという。

「体育の教員免許を取って、高校野球の指導者になりなさい。そして、平田を甲子園に連れていくんだ」

 日体大を志望校に定め、一浪の末に入学。在学中は軟式野球部に所属し、3、4年時は全国制覇を果たした。