松坂大輔の「伝説の決勝戦」で2四球。今も忘れない平成の怪物の記憶 (3ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

 松坂の快投、京都成章のエース左腕・古岡基紀の粘り投球が繰り返され、スコアボードが数字で埋まっていく。8回を終え、京都成章が3点ビハインド。その時点で、松坂は1本の安打も許していなかった。否が応でも"快挙"への期待が膨らむなか、9回表の攻撃が始まった。

 一死後、主将の1番・澤井芳信が三塁ゴロに倒れ、いよいよ球場は異様な雰囲気に包まれる。球場が騒然とした状況で田坪は打席を迎えたが、ここでも平常心を保っていた。

「いま言うと笑われるかもしれませんが、打席が回ってきたとき『よし打ったろう!』と思っていたんです。変に力むでもなく、『甘い球がきたらいくぞ!』と。自分が最後のバッターになるとも思っていなくて......

 事実、第2打席に四球を選ぶなど、田坪は松坂のボールを見極めていた。いくばくかの自信を胸に、左バッターボックスに足を踏み入れた。

 初球は抜け気味のスライダーが外に外れてボール。2球目は直球を投じ、外に決まってストライク。3球目はワンバウンドするスライダーを見極め、4球目は高めに浮いたストレートに手を出しそうになりつつも、バットを止めた。

 カウント3ボール1ストライク。「高めの甘いストレート、来い!」。意識を研ぎ澄ませ狙い球を待ったが、松坂の右腕から放たれた直球は大きく高めに外れた。この試合、2つ目の四球を選び、一塁へと向かった。

 一塁ベース上に立ってもなお、田坪のなかに"不思議な感覚"は残り続けていた。

「9回ツーアウト。ここまで追い込まれても『次のバッターがなんとかするんじゃないか』という思いが消えませんでしたね。まだ試合は終わらないんじゃないか、と」

 だが田坪の祈りは届かず、続く打者が空振り三振に倒れ、京都成章の夏が終わった。「勝てる気もしないけど、負ける気もしない」。その思いがあったからか、最初は敗れた実感がなかった。

 京都大会初戦から甲子園の準決勝まで、校歌は"歌う側"だったため、久々に相手校の校歌を耳にした時、敗戦が一気に現実として押し寄せた。

「終わったんやな......。そうか、やっと終わったんか」

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