習志野の投手起用に見る球数問題。エース温存で投手陣はみな成長した

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 投手の投球過多が問題になる昨今、今年の春のセンバツで決勝まで駒を進めた習志野(千葉)の戦いは貴重なサンプルだった。同大会の全5試合で、エースの飯塚脩人ではなく、2番手、3番手を先発させる形を取ったのだ。アンダースローの岩沢知幸、当時1年生のサウスポー・山内翔太が得点を許しながら、リリーフした飯塚が守りからリズムを作り、中盤から後半の逆転勝ちにつなげた。

 この戦法には、「相手に先手を取られるリスクが高い」という大きなデメリットがあるが、それを補って余りある効能があった。それは、エースの体力を温存し、フレッシュな状態でマウンドに上げることができたことだ。

 センバツ初戦の日章学園(宮崎)でリリーフ登板した飯塚は、1回3分の2、33球で試合を終わらせた。続く星稜(石川)戦は7回3分の1を投げて96球、準々決勝の市立和歌山(和歌山)戦は8回を投げて113球。準決勝の名豊(大分)戦は先発した山内の好投もあり、3回を49球で締めて決勝進出を決めた。

 決勝の東邦(愛知)戦では、初回に奪われた3点が大きくのしかかり0-6で敗れたが、5回途中から最後まで投げ切った飯塚の投球数は52だった。5試合を戦って、100球を超えたのは市立和歌山戦の1試合だけ。エースの投球回数をコントロールしながら勝ち上がった、小林徹監督の選手起用は見事と言うしかない。

 その大会で先発を任された山内、岩沢にとっては荷が重かったかもしれない。山内は初戦こそ7回3分の1を投げて2失点と好投したものの、準決勝、決勝はいずれも初回に3点を取られた。岩沢は2回戦で1回1/3、準々決勝ではわずか1回でマウンドから降りている。

 しかし、こうしたリスク承知の投手起用によって、とくに山内は大きく成長した。夏の千葉大会で3試合に登板し、許した失点は2。八千代松陰との決勝では9回を被安打2、10奪三振の好投を見せた。ちなみに、エースの飯塚は千葉大会で23イニングしか投げていない。

 さらに、試合を重ねるごとに終盤の打線の粘り強さも醸成されていった。実際に、センバツでは星稜、市立和歌山、明豊という難敵を相手に、見事な逆転勝ちを収めた。

 それらの効能が、夏の甲子園の初戦、沖縄尚学(沖縄)戦でも表れた。

 2-0とリードして迎えた4回裏に先発の山内が3点を奪われて逆転されたものの、すぐさま5回表に同点とした。その後、6回裏に許した1点を追いかける9回表に再び追いつき、試合は延長戦に突入。10回表に勝ち越し点をあげて試合をモノにした。先発・山内は5回3分の0を3失点、打っては3安打1打点と活躍。山内の後を引き継いだ飯塚も、気迫あふれる投球を見せて逆転勝利を呼び込んだ。

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