2019.08.08

監督「ここにしかない魅力はある」。
無念の敗戦でも貫いた上尾らしさ

  • 高木遊●文 text by Takagi Yu
  • photo by Takagi Yu

 夏の埼玉大会5回戦。上尾市民球場は外野席も開放されるほどの賑わいを見せた。多くの観客のお目当ては、地元の人気校・上尾高校だった。そんなホームとも言うべき雰囲気のなかで、上尾は大宮東から初回に4本の安打を絡めて幸先良く2点を先制。

 投げてもエース左腕の寺山大智が4回までひとりの走者も出さず、5回に四球こそ出したが6回二死まで無安打投球を続けた。

 しかし、なかなか追加点を奪えなかったことが仇となる。最終回、二死一塁と勝利まであと1アウト、しかも打者を2ストライクまで追い込んだが、そこからまさかの4連打を浴びて2対3と逆転サヨナラ負けを喫した。

ベンチ入りできなかったメンバーが一致団結した応援を見せる上尾のスタンド 試合後、スタンドにあいさつを終えると、選手たちは涙に暮れてロッカーへ引き上げていった。だが、上尾の監督を務める高野和樹(こうの・かずき)はベンチに戻ると、椅子に座り動かない。5分以上は座っていただろうか、長い沈黙の時間が流れた。旧知の連盟関係者が労いの言葉をかけるが、返事に正気はなかった。

 しばらくして取材陣の前に現れた高野は「3点目を取れなかったのがすべて」と切り出し、「とはいえ、こういうギリギリのところで勝ってきたチームなので、やはり最後が……悔しいですよね」と言葉を絞り出した。

 ただ、試合後に座り込んでいた理由を尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「(こういう負け方でも)ウチの応援団がエール交換までしっかりやっているのかを確認していました。ベンチに入れなかった3年生たちを中心に、しっかりとやってくれていました」

 逆転負けの悔しさを押し殺しながらも、その部分での「やってきたことは間違いではなかった」という安堵の表情を見せた時、伝統校の矜持を感じた。

 埼玉の高校野球界で上尾が残してきた功績は大きい。甲子園出場は春夏合わせて6回。1963年春に甲子園初出場を果たすと、その後70年代中盤から80年代中盤にかけて隆盛を誇った。

 最後の甲子園から35年経った今でも、上尾の人気は根強く、上尾市民球場で公式戦が行なわれれば、平日の午前中であっても多くの観客で埋まる。