神前俊彦63歳。高校野球に憑りつかれた男が目指す2度目の甲子園 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Tanigami Shiro

 突然"失業者"となった神前だが、ここから1年は母校である関西学院大のコーチ、縁のあった鳥取県の高校に出向いての指導に励んだ。すべてボランティアだったが、勝負の世界へ戻れることを頑なに信じ、グラウンドに立ち続けた。

 この揺るぎない思いが、京都共栄学園との縁をつないだ。男女共学の私立校で、野球部は甲子園出場経験がない。それまで「打倒・私学」を掲げ、野球人生を送ってきた神前だったが、グラウンドへの復帰に迷いはなかった。

 学校がある福知山で単身生活を始め、練習が終わるとナイター中継か、録画しておいた野球の試合を見ながら食事。風呂に入り、ニュースを見ながらマッサージ器で体を整え、眠りにつく。

 朝は、朝練に出て、生徒が授業に向かうと、ネット裏にある小部屋にこもり、選手と行なっている野球ノートの返事を書き、練習メニューを考える。その後、一旦帰宅し、掃除、昼食をとり、グラウンドへ向かう。雇われの野球部監督という生活。大会スケジュールをにらみながら会社に有給休暇届を出す手間はなくなったが、これまでにない重圧がのしかかる。

「ほかの人からすれば、好きな野球をやって、お金をもらって、うらやましい生活やと思うやろうね。もちろん、私学は結果がすべて。プレッシャーはきついし、寿命を縮めながらやっています。それでも60歳を超えても好きな野球ができ、監督として勝負の世界におれるというね、こんな幸せなことはない。ここにはお金で買えないものがあるからね」

 いざなかに入ってみると、「あるある」と思っていた私学もそうではないということがわかった。京都共栄学園のグラウンドは、特殊な形状で右翼が50メートルしかなく、通常のバッティング練習もシートノックもできない。週2回のペースで近隣の福知山球場などを借りて実戦練習を行ない、雨が降れば校舎の階段などで他の部活と共有しながらのトレーニング。その風景は春日丘時代となんら変わらない。

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