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因縁の「箕面学園vs.履正社」は
監督歴30年超の同年代対決! (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

名門・北陽野球部出身の田中祥雄監督(photo by Kondo Shun)名門・北陽野球部出身の田中祥雄監督(photo by Kondo Shun) そして1997年の夏には、かつてのライバルであった履正社が甲子園初出場。岡田が一からつくり上げたチームの快挙に、田中も大きな刺激を受けた。

「『くそっ!』というより、『履正社が行けたんなら、ウチも行ける』と。あの時はそう思って、こっちも燃えていたんです。でも思うようには......」

 1993年のベスト8に続く波はなかなかやってこなかった。ただ、そんななかでも甲子園が頭に浮かぶ夏が2度あったと言う。最初が2002年だ。

「初戦で渋谷(しぶたに)に勝って、次戦で北陽に延長13回で勝利。でも次に大阪桐蔭と対戦して5対6で負けました。1点差の9回裏、ツーアウト1、3塁まで攻めたんですけど、あと1本が出なくて。大阪桐蔭は西岡剛(現・BCリーグ栃木)がキャプテンの時で、11年ぶりに甲子園に行きましたからね」

 2度目はそれから4年後の2006年。

「5回戦まで進んだのですが、また大阪桐蔭と対戦です。中田翔(現・日本ハム)が2年の時で、4番を打っていました。結果は完敗だったんですけど、この時も大阪桐蔭が甲子園に出ました。この2つの代のチームは力がありました」

 箕面学園は大阪桐蔭や履正社と同じ大阪の私学校だが、スカウティングの面で苦戦を強いられている。

 この春の快進撃の立役者である2年生エースの石井康輝は「中学3年の最後の頃になって、たまに練習試合で投げるくらい」の選手だった。4番・ショートの山本啓人も「中学時代はライトで、最終回に守備で出るくらい」。2番・セカンドの山田雄馬も「中学時代はスタメンで出たり出なかったりのショート」だったと言う。

 この"伸びしろ"は誇れるところだろうと聞いてみると、田中は「ヘタをうまくするということでは、岡田には負けていないと思っています」と笑顔を見せた。

 続けて、「大阪桐蔭や履正社のような、好素材が集まるチームで監督をしてみたいか」と尋ねると、「そら、思いますよ!」と即答した。箕面学園のようなチームを指導することにやりがいを感じていると思っていたのだが......少し意外な答えだった。

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