2019.07.04

沖水21年ぶり甲子園へ。指揮官が断言
「打倒・興南への秘策はある」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

栽弘義の遺伝子を引き継ぐ男、沖縄水産・上原忠の挑戦~後編

前編はこちら>>

中編はこちら>>

 2002年、ついに夢だった高校野球の監督となった上原は、中部商を率いていきなり夏の沖縄大会で決勝へ勝ち進んだ。しかも相手は、沖縄水産だった。栽弘義監督はさぞたまげたことだろう。何しろ、一から野球を教えた中学の監督と、甲子園を懸けた舞台で戦うことになったのだから――上原はこう言った。

「高校の監督になって3カ月で決勝まで勝ち進んで、栽先生と当たっちゃったんです。相手ベンチに栽先生がいるんですよ。で、こっちに僕。大ベテランとペーペーが夏の甲子園を懸けて戦えば、沖縄中の下馬評は999対1ですよ。ところが試合をしたら4-1で勝った。もう、嬉しいやら申し訳ないやらで、試合後、閉会式で栽先生と並んだとき、帽子を取って頭を下げて『お世話になりました、ありがとうございました』と言いました。栽先生は『何かあったら相談に乗るからね』と言ってくれて……そりゃ、栽先生は悔しかったと思いますよ。でも栽先生の顔は、同郷の後輩に負けて、これから頑張れよ、と言ってくれているようにも見えました」

中部商、糸満高校時代に計4度、甲子園に出場した上原忠監督 子どもの頃、栽弘義に憧れ、高校野球の監督になって甲子園へ行くという夢を、上原はいきなり叶えた。中部商の監督となり、夏の甲子園に出場。その2年後の2004年夏、中部商はまたも沖縄水産を破って、2度目の甲子園出場を勝ち取った。

「2度目の決勝のスコアも、また4-1ですよ。でも初めてのときとは違って、2度目は僕のほうに栽先生を見る余裕がありました。あ、ここでピッチャーを代えたいのに栽先生は迷ってるな、とか……あの時、ウチは2番手を先発させて、コイツ、ヤバいなというときに迷わずエースを送り出せたんですけど、栽先生はエースを先発させたから2番手の2年生に代え切れなかったと思うんです。エースを下ろすと試合の流れが変わりますし、そこで迷う栽先生の顔が見えた……初めての時にはそんな余裕はありませんでしたね」