2019.07.02

栽弘義と上原忠、名監督同士の出会い。
沖水が21年ぶり甲子園へ好発進

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sportiva

栽弘義の遺伝子を引き継ぐ男、沖縄水産・上原忠の挑戦~前編

 今年の夏は、沖水が強いらしい。

 そんな声が聞こえてくる。去年の夏の新人大会で準優勝、秋の沖縄大会で優勝、春の沖縄大会で準優勝。新チームになってから3度の県大会で決勝に進んだ力は侮れない、というわけだ。実際、幕を開けた沖縄大会の初戦、沖水は初戦で美里を13-0の5回コールドで下し、夏の甲子園へ好スタートを切った。中部商、糸満の監督としてあわせて4度も甲子園の土を踏んでいる沖縄水産の上原忠監督はこう言った。

「でも、僕の力不足もあって甲子園では1度も勝てていないんです。僕、県外で弱いんですよ。県内では相当、勝ってるんですけどね(苦笑)」

3年前に糸満高校から沖縄水産に転任してきた上原忠監督 人事異動で糸満から沖水に上原が移ったのが3年前。興南の我喜屋優、美里工の神谷嘉宗、沖縄尚学の比嘉公也といった島人の名将たちと並び称される上原監督が沖水を率いるとあって、沖縄だけでなく全国の野球好きの期待は高まった。のちにホークスで活躍した新垣渚を擁して甲子園に出場した1998年以来、この夏は甲子園で21年ぶりに沖水のユニフォームを観られるかもしれないのだ。

 沖水――。

 ユニフォームの胸文字も、帽子の刺繍もこの二文字。もちろん、野球好きならこの二文字がどこの高校を指すのかを知っている。

 もう四半世紀より前のことになる。沖縄水産高校は1990年と91年、2年続けて夏の甲子園の決勝を戦った。そして、2年続けて決勝で敗れた。天理に0-1、大阪桐蔭に8-13。沖縄県勢初の全国制覇はあと一歩のところで叶わなかった。

 その時の沖縄水産は、いわば”オール沖縄”のようなチームだった。それは、沖縄水産を率いる監督が栽弘義(さい・ひろよし)だったからだ。栽監督は『大胆細心』をモットーに、豊見城、沖縄水産の監督として、春夏あわせて17度の甲子園出場を果たした名伯楽である。栽監督のカリスマ性に惹かれた沖縄の有力な中学生たちは、こぞって沖水を目指した。だから、”オール沖縄”と呼ぶに相応しい沖縄のベストメンバーが、沖水には揃っていた。