初戦完敗も観客の心をつかんだ白山高校。次なる挑戦は奇跡から常勝へ (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 昨秋、今春と県大会ベスト8に進出したとはいえ、依然として甲子園を狙う強豪との力の差を感じていた。彼らにとっては菰野に勝つことが夏の目標だったのだ。2007年から10年連続三重大会初戦敗退だったチームが甲子園に出場しただけでも、十分「奇跡」と呼ぶに値した。

 5番・レフトで出場していた伊藤尚は不思議な感覚で試合を戦っていた。

――本当に自分が、甲子園で名電と対戦している。

 伊藤は中学時代に愛工大名電への進学を希望していた。だが、成績が足りなかったため断念し、白山に進んだ経緯がある。

 自宅のある亀山から2時間弱の時間をかけて通学する毎日。入学した当初は野球部も強くなく、部員数も少なく「無理やな」と思った。クラスメイトも学校生活もすべてがつまらなく、面倒に感じた。投げやりになって学校をサボると、東監督からメールが届いた。「途中からでもいいから学校に来い」。無視すると、次の日に学校で東監督に思い切り怒られた。

「1年から2年にかけて、4~5回はやめようとしたと思います」

 伊藤はそう言って無邪気に笑った。やめようとするたびに東監督とチームメイトたちが止めてくれた。

 2年の秋、新チームが始まるタイミングでは、学校をやめて働こうと仕事を探し始めていた。自分で稼いで、自分の金で遊びたい。高校生なら誰もが思いそうなことだが、伊藤は本当に学校をやめるつもりだった。

 だが、今度も東監督に説得された。

「今やめたら、あとは仕事をするだけの人生になるぞ。高校だけでも卒業しろ」

 あまりのしつこさに伊藤が折れ、「もう1回ちゃんとやろう」と決めた。それからはもうやめるとは言わずに、野球に打ち込んだ。夏の三重大会・菰野戦、伊藤は最速152キロを誇る田中法彦の快速球を弾き返し、決勝ホームランを放った。「野球がなかったら今ごろ仕事してると思う」と言う選手が甲子園のグラウンドに立った。

「点差も点差だったのでなんなんですけど、ナイターの光を見てテンションが上がりました(笑)。あと、僕が『やめる』と言ったときに一番に止めてくれた堀(涼)が最後に代打で打席に立てたのがうれしかったですね」

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