センバツで神戸国際大付が目指す破壊的「プロレス野球」って何だ!? (2ページ目)

  • 谷上史朗●文・写真 text&photo by Tanigami Shiro

 一方で、青木監督が少年野球チームに入ったのは小学校3年。野球熱は高かったが、学校の休み時間はプロレスごっこに熱中した。

「ミル・マスカラスのフライングボディアタック2連発からのダイビングボディプレスが日課でした」

 中学を経て、高校は八代学院に進学した。そこで3年間野球を続け、最後の夏は1番・センターを務めたが勝てなかった。入学時は70人いた同級生が最後の夏には9人になったこと以外、野球部の思い出は薄く、「あれは楽しかった」と挙げたのは大阪府立体育館にプロレスを見に行ったことだった。

 高校卒業後、愛知工業大に進み野球を続けたが、一方でプロレスとの距離はグッと近くなっていた。寮ではプロレス専門誌とプロレス記事が多い大スポ(大阪スポーツ)を読み漁り、ひょんなことからプロレス関係者と知り合いにもなった。愛知県体育館で大会が行なわれるときは観戦に誘われ、レスラーと触れ合う機会もあった。

「宣伝カーに乗せてもらって、長州力さんのテーマ曲『パワーホール』をかけながら街中を回ったこともありました。あとはポスターを貼ったりもして、これも楽しかったですね」

 ビッグマッチが組まれることが多い愛知県体育館での試合は、よく観戦に向かった。

「長州さんらが新日(新日本プロレス)を離れて、世界最強タッグをやっていた全日(全日本プロレス)に乗り込んできたのが大学2年の12月。僕も興奮してファンを整理していたガードマンともみ合いになったり......(笑)。あとは猪木さんとアンドレ・ザ・ジャイアントの試合も行ったし、テレビでは放送されていなかったけど、ジャンボ鶴田さんとブルーザー・ブロディのシングル戦も見ましたね。ブロディが何かの記事で『あの鶴田戦がベストバウト』と言っている記事を見て、『おお! 見た見た!』って興奮したことも覚えています。ちなみに、今、ブロディのテーマ曲『移民の歌』をやっています。ハンセンをやめてブロディ。こっちはまだ真似されていません」

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