神宮枠で混迷。同一都府県から3校のセンバツ出場はなぜダメなのか? (5ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 落選理由は、冬の間に帝京商工でボヤが起き、チームや選手たちの成績が記された資料が焼失したことなどが挙げられた。この結果に怒った学校側が高野連を相手に訴訟を起こしたというわけだ。

 裁判では、高野連側が「秋季大会はセンバツの予選ではない。成績がよかったというだけでは出場できない」と主張し、判決では「センバツ大会は招待大会である以上、主催者側に従うべき」とし、帝京商工の敗訴で決着したという。

 戸田氏が言う。

「私も過去の選考で『これは......?』と思うことが何度もありました。取材しているなかで同業者に噛みつく者もいましたが、なにも変わらない。このひと言でまとめていいとは思わないですけど、それがセンバツなんです。誰の大会かといえば、主催者の大会。つまり、毎日新聞社の大会なんです。主催者に選ばれないと出られない大会なんですよ、センバツは......」

 これまで選考会を取材したことがあるが、各地区の理事が発表する選考過程や理由に何度も首をかしげた覚えがある。時に地域性を強調し、時に詳細なデータを持ち出して比較に力を込め、時に選考委員が感じた印象を熱っぽく語る。そして、その結果を受けたマスコミ関係者からは、「あの県の理事は力を持っているから」「主催者としては○○高校より、△△高校を選びたいでしょう」といった声が漏れる。

 たしかに、地域性という側面で見れば、同一都府県から3校が選ばれるのは主催者にとって好ましい状況ではないというのはわかる。ただ今回の近畿に関しては、"神宮枠"というご褒美的な1枠がプラスされた中での7枠である。"神宮枠"創設当初、毎日新聞は高野連の狙いをこう記している。

<21世紀を含む一連の改革には固定化しつつある各地区の出場校数を見直す狙いがある。毎年、チーム構成が変わるのが高校野球。地区ごとの出場校数を既定事実とせず、その年ごとの戦力に応じて選考するのが望ましいのはもちろんだ。2つの枠(21世紀枠、神宮枠)の導入は、より柔軟な選考を目指して実質的な一歩を踏み出したことを意味している>

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