【都市対抗野球】ミスター社会人・西郷泰之、最多本塁打記録への挑戦 (4ページ目)

  • 中里浩章●文 text by Nakasato Hiroaki
  • 荒川祐史●写真 photo by Arakawa Yuji

 三菱川崎野球部はその後、2008年限りで活動休止となった。これを機に、西郷はユニフォームを脱ぐつもりでいた。

「その年の都市対抗で、東京ドームの風景を焼き付けたつもりでした。でも、Hondaの安藤強監督(当時)から『ウチでやらないか』と。記録を意識したのはその時。『ウチのユニフォームで本塁打記録を塗り替えてみろ』って言われたんです」

 2009年よりHondaへ転籍。坂本保、佐伯亮、長野久義(現・巨人)らとは日本代表で顔を合わせていたこともあり、スムーズにチームへ溶け込んだ。同年夏には見事に都市対抗優勝。そして個人としても昨夏、大記録に到達した。

 ここ数年、本塁打数が騒がれるようになった。そうした重圧はもちろんあるが、むしろ期待に応えたい想いのほうが強いという。昨夏は多くの人から祝福を受けた。安藤監督からは「おめでとう。Hondaに来てくれてよかった」とメールが届いた。「あなたは野球以外できないでしょう」と、神奈川から埼玉への引っ越しを文句も言わずに受け入れてくれた妻、そして息子の笑顔も見ることができた。実は大会前まで打球が遠くへ飛ばず、不調に陥っていたという。だが、自分がチームの力になれば、多くの人が喜んでくれる。その気持ちは決して失わなかった。

 もちろん、体力は衰える。「最終的には目が衰えるでしょうから、鍛える必要がある。プレイでも無駄な動きを削(そ)がないといけない」と自覚もしている。足首をケガした2011年は、回復の遅さを実感した。ベストナイン6回や日本代表に18回も招集されるなど、実績は輝かしい。だからこそ「もう引退でいいんじゃないか」と囁かれることもある。事実、日本代表では世代交代が行なわれ、西郷の代表入りは2010年アジア競技大会が最後だ。しかし、決意は固い。

「続けさせてもらえる以上、最後までやり切りたい。打席に入れば力は入るでしょうけど、チームのためにやれることを精一杯やるだけです」

 最後に聞いてみた。ミスター社会人と呼ばれることについては、どう思っているのか。

「ミスター社会人っていうのは日本生命の杉浦正則さんとか、そういう雲の上の存在。だから、自分は違いますよ(笑)。ただ、若手からは接しにくいでしょうから、こちらからコミュニケーションを取りにいったり、話しかけやすいようにしようと。それと、今まで『あの人に任せれば大丈夫』と言われる選手をずっと目指してきました。そういう選手になれたかどうかは分かりませんが、今でも期待される選手でありたい」

 飾らない笑顔で、そう語る。もし“ミスター”を名人という意味合いで使うのであれば――西郷は間違いなく、人に喜びを与え続ける“ミスター社会人”である。

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