【高校野球】愛知の高校野球界を支える「私学4強」 (2ページ目)
試合は1-1の9回、決勝の2点を挙げた中京が勝って、2年連続で甲子園にコマを進めた。この夏の甲子園、準々決勝で中京は甲子園の夏3連覇を目指す水野 (雄仁)、江上(光治)がいた池田と戦い、奇しくも享栄戦とは逆に1-1の9回、決勝の2点を奪われ、1-3で敗れた。その池田が準決勝で当時1年生の KKコンビ(清原和博、桑田真澄)を擁したPL学園に大敗したのは、よく知られた話だ。この愛知県大会の決勝で、藤王は野中から1本のヒットを打ったものの、最後の打席は見逃しの三振。野中が魂を込めて投じた胸元のストレート。藤王はネクストバッターズサークルで試合終了のサイレンを聞いた。野中と藤王、 いずれもプロの世界で一流の域まで達したとは言い難いが、超高校級の直接対決は今でも愛知県の野球好きの間では語り草になっている。
私学4強のうち、中京大中京は夏に26回の甲子園出場、うち決勝に7度進み、7度とも勝った。夏7度の優勝は全国1位、春も30回の出場で8度も決勝に進み、4度の優勝は全国1位タイ。あわせて11回 の優勝は全国最多だ。その中京と同じく春に4度の優勝を果たし、全国1位タイに並んでいるのが、同じ愛知県の東邦。春の優勝1度ながら、イチロー、工藤公康、山崎武司といったプロの一流選手を輩出する愛工大名電。藤王の他に近藤真一という怪物高校生を生んだ享栄――春のセンバツに私学4強のうちの2強が出場し、その2強が夏の愛知県大会決勝で激突したのが、1986年の享栄と東邦、1991年の東邦と愛工大名電。91年 の東邦は、イチローのいた愛工大名電を破って、甲子園に進んだ。決勝に限らず、この私学4強は、愛知県大会で数々の名勝負を続け、凌ぎを削ってきた。昨年から、秋に『私学4強交流戦』なるイベントも始まった。新興勢力の台頭はあるが、それでも愛知県における私学4強の勢力は依然、強大だ。
ところが、である。去年の日本シリーズを観ていて、ふと思ったことがあった。
ドラゴンズとホークスが激突した頂上決戦、両チームの命運は、二人のセットアッパーが握っていた。昨シーズンのリーグMVPに輝いたドラゴンズの浅尾拓也、"森福の11球"で一躍全国区となったホークスの森福允彦である。その浅尾と森福はいずれも愛知県の出身だ。
しかし、彼らは私学4強の出身ではない。
日本シリーズでドラゴンズとホークスを支えたふたりが、愛知県出身でありながら私学4強を卒業したわけではないことを、愛知県出身者として、不思議に思った。どのような足跡を経て、浅尾と森福はプロの頂点を決める舞台にたどり着いたのだろう。
この謎を紐解く旅に出てみようと思い立った──。
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