【自転車】片山右京「欧州初レース。太刀打ちできなかった」 (3ページ目)
人の輪、そして多くのことを学び取る経験という両面で、今回、TeamUKYOにとって非常に象徴的だったのは、レースを仕切ったヘスス・ロドリゲス・マグローという人物だ。
TeamUKYOはチーム代表である片山右京の下、ゼネラルマネージャーの桑原忠彦が指揮を執り、レースの現場ではキャプテンの狩野智也と司令塔の土井雪広が選手たちを束ねている。そして今回の欧州遠征では、チームの現場監督的な位置づけとしてマグロー氏が帯同することになった。マグロー氏は1980年代から1990年代前半に選手として活躍し、ツール・ド・フランスには7年連続で参戦してミゲル・インドゥライン(1991年〜1995年ツール個人総合5連覇)のアシストとしても高いパフォーマンスを発揮した人物だ。引退後はスペイン・ナショナルチームのコーチを務めた経験を持ち、今でもコースサイドの観客からはマグロー氏に対して声援が飛ぶほどの知名度を持つ。
マグロー氏は片山と同じ監督カーに乗り、自らクルマのハンドルを握ったが、「あれを見ていると、俺のやっていることなんてもう、幼稚園児以下」と、片山は苦笑を浮かべる。
「ウチらの順位は総合15番手とか16番手だから、選手を追走する監督カーの順番も集団の後方にいなければいけないんだけど、そうなると何かあったとき、前方へ上がるのに時間がかかってしまう。だから、うまい具合にチーフコミッセール(審判)に文句をつけるために上がって行って、そこからなかなか後方に戻らないわけです。だから、いつも前から2番目か3番目にいる(笑)。そういう、ずる賢さも戦略のうちなんだなあ、と勉強になりました。
ドリンクのボトルを取りに来た選手への対応も秀逸ですよ。渡した後に選手を送り出すとき、一瞬だけど、グッと(選手の)背中を押しながらクルマのアクセルを踏んで、瞬時にうまく加速させてやる。欧州経験の豊富な土井君も、『彼(マグロー氏)はうまいですね。日本人にはああいう監督はいないですね』と、感心していました。
また、レースが進んでプロトンがどんどん(縦に)伸びたりすると、例によって後ろにいるはずの監督カーがビューッて前に行って、『ホセ、何やってるんだ。ちゃんと土井をひけ〜ッ!』って怒鳴ったり、さらには日本人選手の横にクルマをつけると、『おまえら、遠足しに来てるんじゃねえんだぞ!』と喝(かつ)を入れたり……。そうしたら最後には、とうとうコミッセールから無線で、『TeamUKYOさん、いいかげんにしてください。お願いですから後ろに下がってください』と怒られたりして(笑)。でも、監督として、コーチとして、しっかりやり遂げてくれて立派だなあと感心しました」
片山自身が「多くのことを学べた」と語る今回の欧州遠征は、選手やスタッフ個々、人のレベルはもちろん、チームそのものの今後の活動を支える血となり、筋肉となっていくだろう。
著者プロフィール
片山右京 (かたやま・うきょう)
1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。
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