伊原六花の高校生活を一変させたバブリーダンス。「これでどうやって踊るの?」の戸惑いから紅白歌合戦出場へ (4ページ目)
古い素材で再構成した、斬新で、同時に"登美丘カラー"もたっぷり塗りこめたこのダンスは、躍り込めば躍り込むほどに、深い味わいが増していく。それだけにキャプテンとしても、完成度にはこだわりにこだわった。
「カツラをつけて踊ったら、髪の毛のなびき方も揃えたいと思い、それも研究しました。表情も場面ごとに決まっているので、曲を流して顔だけ踊る練習もしたり。ダンス部なのに、メイクとカツラの練習だけの日があったり!
ダンスシューズを入れている袋も、普段はビニール袋なのを、ブランドの紙袋にしてみようとか。いい感じのハイブランドの香水を振って出かけようとか。そういう内面的なものから変えていったのは楽しかったですね」
当時を振り返る伊原の表情が輝き、声が弾む。 少し背伸びし、日ごろの生活から"バブル時代"を作り込み、高校時代の集大成として挑んだ夏のダンススタジアム全国大会。
ところが......結果は、準優勝。伊原が入部して以来、続いていた連覇はこの時、途絶えた。
「夏の大会は、悔しかったですね。ずっと、優勝しか考えていなかったので。それしか考えていなかったし、1〜2年の時は優勝したので、わたしの代で泥を塗るわけにはいかないと死ぬ気で頑張りました。
それでも、ダメなものはダメだったので......責任はすごく感じました。自分がキャプテンだった年に負けたということは、わたしの練習メニューがよくなかったんだろうなとか、もっと詰められた箇所があったんだろうなと感じました」
考えれば考えるほど、自責の念は増していく。ただ、「このダンスを、これで終わりにするのはもったいないよね」との思いは部員の間でも募った。
そこで梅田のスタジオを借り、全国大会の時と同様に衣装とウィグをつけ、メイクをして踊った動画を撮影。それをYouTubeに上げたところ、想像もつかないほどの反響の渦が巻き起こった。
「SNSに動画の情報を上げたら、まずリツイートと『いいね』が多くて。えーっすごいと思っていたら、YouTubeの再生回数がどんどん伸びて。そのうちテレビで取り上げられたり、そうなると、もう他人事な感じでした。わー、すごーい!って感じで」
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