伊原六花の高校生活を一変させたバブリーダンス。「これでどうやって踊るの?」の戸惑いから紅白歌合戦出場へ (2ページ目)
「かっこいい感じの方がキャプテンだったんですが、彼女のそのひと言で、最初は50人くらいいた新入部員が25人くらいに減りました。
1年生の時は、練習する踊りも一曲だけなんです。2分くらいの振り付けを教えてもらい、それを何度も繰り返す。自分たちは『ちゃんとやってるやん』と思っても、先輩が曲を止めて『だれだれ、もっと足上げて』みたいな感じで修正をするんです」
そうしているうちに、残った25人の新入部員も、さらに17人まで減った。
ただチャンスは、学年に関係なく誰にでも等しく訪れる。定期的に部員全員がオーディションを受け、うまければ主要メンバーに選ばれる実力主義。現に、伊原が1年生の時もひとり、「ダンススタジアム」を含む全国大会に行った同級生がいた。
ダンスの名門として知られる登美丘高校だが、実は新入部員の多くはダンス未経験者だ。それでも努力し上達すれば、コーチにして振付師のakaneの目に止まる。あるいは、中学時代に陸上部で体力のある子が長時間踊っても形が崩れることなく、高く評価されることもあった。
一方、当時の伊原はまだどこかで、「正解がある」ダンスに微かな抵抗感があったのだろう。もしかしたら上級生やakaneも、彼女のなかの小さな反発心を見抜いていたのかもしれない。
伊原にとって忘れがたく、そして大きな気づきを与えてくれた体験が、1年生の時に訪れた。
「当時のわたしは、ダンスはやっていたけれど体力もなくて。それに正直、そこまで振り付けを揃える必要あるの? と思っていたんです。
それで1年の時は、オーディションに落ちまくって。特に覚えているのが、両国国技館で踊れるチャンスがあった時です。両国国技館は360度どこからでも見られるので、それ用にダンスをアレンジし、人数も減らすことになった。
その落ちるメンバーをakaneさんが独断で決めた時、わたしは落ちたんです。悔しかったけれど、『予選での踊りや、練習風景を見て決めました』と言われた時に、見透かされていたんだなって......」
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