普通の女子高生がバブリーダンスを機に芸能界へ。伊原六花が語る学生時代と女優の今
『This is My Dance 〜 私の青春』(2)
伊原六花インタビュー@後編
前編はこちら>>「伊原六花の人生を変えた高校入学の分岐点」
中編はこちら>>「これでどうやって踊るの?の戸惑いから紅白歌合戦出場へ」
「え、ヤバイです! なんかツイートしてくれてるんですけど!」
スマホをのぞき込む後輩の声が、いつものランチタイムを「めっちゃ覚えている」忘れがたい瞬間へと塗り替えた。
大阪府立登美丘(とみおか)高校ダンス部キャプテンとして、全国優勝を目指していた夏。その地方予選を終え、全国大会に向けて練習を重ねる日々のなかの、休憩時間での出来事だ。
後輩がスマホのなかに見つけたのは、自分たちの予選のダンス動画に触れた、あるツイートだった。
"つぶやき"の主は、荻野目洋子。ダンスに用いた楽曲『ダンシング・ヒーロー』を歌うアーティストその人だ。
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バブリーダンスで一躍有名になった伊原六花さんこの記事に関連する写真を見る「予選が終わったあとに大会の映像が流れた時、それを荻野目洋子さんが見つけてくださり、『楽曲使ってくれてありがとう、学園祭とか行きたいな』とツイートしてくださったんです。
『うわー、本人に届いたー!』ってみんなで喜んだんですが、まさかそのあと、ご本人とご一緒できたり、生歌で踊らせていただく機会があるなんて思いもしませんでした」
お昼休みに友人たちと車座になり、食事をしながら談笑するという、どの高校でも見られるあまりに日常的な光景。そのなかに突如降って下りたささやかな非日常は、ひとりの女子高校生を"伊原六花"というアーティストへと誘った。
優勝のみを狙っていた夏の全国大会で、伊原キャプテン率いる登美丘高校ダンス部は、準優勝の結果に終わる。ただ、80年代ファッションや風俗を題材にした『バブリーダンス』はYouTubeの動画やソーシャルメディアでバズり、テレビでも取り上げられはじめた。やがては高校ダンス部にも、取材や出演依頼が舞い込むようになる。
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