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北島康介は五輪連覇までの長い4年間を、
何を支えに乗り越えたのか (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

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 ダーレオーエンはアメリカのフラッグスタッフ合宿では何度も一緒になり、実力をよく知っている選手だった。北島は「準決勝で彼が出した記録は僕にとって脅威だった。でも、彼がいてくれたおかげで自分も自分らしく泳ぐことができた」と言う。

 だが、平井コーチの言葉は少し違っていた。

「僕としては、100mで58秒台を出させてあげたかった。世界記録で金メダルという目標は僕も持っていたし、康介も考えていたと思う。ダーレオーエンが準決勝で59秒16を出してきたことは意識したが、脅威というよりも『(康介が)自分の泳ぎをすれば勝てる』という思いのほうが強かった」

 取材公開をした8月1日の直前合宿で北島は、飛び込んで50mを泳ぎ、1分ほど休んでから壁を蹴って50mを泳ぐタイムトライアルを行なった。その情報がライバルたちに流れるのを意識してのことだ。その際に、北島は27秒78と29秒19で泳いだ。合計すると56秒97。平井コーチの「試合ではプラス2秒」という試算で行けば、58秒台を出せる状態に仕上がっていた。その裏付けもあり、平井は自信を持っていた。

 決勝。スタートした北島は、平井の指示どおりに、スムーズで力みのない大きな泳ぎをした。前半50mのストローク数は、これまでの100mでは最小の16。27秒85で入ったダーレオーエンと、27秒97のハンセンに次ぐ3番手の28秒03で折り返した。

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