【マラソン】箱根駅伝3区で区間賞なのに、周りからは「負けてんじゃん」丹所健が今も悔しがる理由 (3ページ目)
【3区区間賞と地元を走る喜び】
第98回箱根駅伝(2022年)で、丹所は3区に配置された。東京国際大は1区山谷、2区ヴィンセント、3区丹所の3人で前半を優位に進める戦略だった。4位で襷を受けた丹所は、3.8km手前で青山学院大1年の太田蒼生(現・GMOインターネットグループ)を抜いて2位に浮上。そのままふたりで並走し、13km手前では先頭を行く駒澤大をとらえ、トップに立った。だが、18km過ぎにスパートした太田に離された。区間賞は丹所が獲得したものの、2位での襷渡しとなった。
「あれは悔しかったですね。区間賞を獲りましたけど、あそこであんな離され方をしたら、注目が全部、太田君にいっちゃうじゃないですか。そのせいか、周りからは僕が区間賞だとは思われていなかったんです。『負けてんじゃん』って(苦笑)。この借りはしっかり返さないといけません。MGCの舞台で(これから出場権を獲得するであろう)太田君に勝ってスッキリしたいですね。それが今の僕のモチベーションのひとつになっています」
それでも丹所の快走は、沿道のファンを熱くさせた。3区は、母校の湘南工科大学附属高の通学路沿いを走るため、家族や友人、知人が多数応援してくれた。4年時に2区を走った際も、家族や友人、近所の知人の熱烈な声援が丹所の背中を押した。
「3区、2区の応援は最高でしたね。(走っている選手のなかで)自分が一番名前を呼ばれたんじゃないかっていうくらいすごかった。ただ、(応援に対して)反応はできなかったんです。僕は、レースが終わればなんでも対応するんですけど、走りながら対応すると疲れてしまうので、基本的にはしないんです。でも、これまでの競技人生で、あれほど名前を呼んで応援してもらったのは、あの時だけです。今もすごく印象に残っています」
丹所の最後の箱根駅伝は、2区だった。地元を走れる喜びがある一方、箱根に向けた調整には余裕がなかった。「ネガティブな感じでスタートラインに立った」こともあり、区間11位に終わった。
「4年の時は、結果を出すためにもっと距離を踏もうと。それしか頭になくて周囲が見えなくなるくらい距離にとらわれてしまったんです。練習をやりすぎてしまい、気がついた時には、階段の上り下りさえキツくて、日常生活もしんどくなっていました。
(血液中の)ヘモグロビンの数値も悪く、貧血みたいになったのですが、若いから大丈夫だろうと思ったんです。結局、ずっと調子が悪いままでしたね。最後、2区を走らせてもらったんですが、最初から力が入らず、飛ばしたつもりでも1km2分55秒前後で、最後まで上げることができないまま終わってしまいました」
4年目は厳しい1年になったが、それでも丹所は入学時の「4年連続で箱根を走る」という目標を達成した。4度の箱根は、今に至る丹所の競技人生に、どんな影響を及ぼしたのだろうか。
「大学3年の時、キツい状態で練習するのではなく、余裕をもってこなし、自分自身と対話することで調子を上げて成長することができました。その時、箱根でも結果を出すことができたので、それが自分にとって大きな自信になりました。それに太田君にも大きなモチベーションを与えてもらった(笑)。僕にとって箱根は成功もあり、失敗もあり、学びもあり、自分の成長に欠かせない大きな舞台でした」
(つづく)
後編を読む>>>「結果が出なかったら、もうやめようと思っていた」故障続きだった丹所健、覚悟の初マラソンでMGC切符
丹所健(たんしょ・けん)/2001年生まれ、神奈川県出身。湘南工科大学附属高から東京国際大に進み、箱根駅伝は1年時と2年時に1区、3年時に3区、4年時に2区を走った。3年時の第98回大会では3区で1時間00分55秒をマークし、区間賞を獲得。大学卒業後はHondaに入社。今年8月の北海道マラソンでは2時間10分55秒で2位に入り、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2028年ロサンゼルス五輪マラソン日本代表選考会、2027年10月3日開催)出場権を獲得した。マラソン以外の自己ベストは5000mが13分46秒17、10000mが28分01秒24、ハーフマラソンが1時間02分45秒。
著者プロフィール
佐藤俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。
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