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【マラソン】箱根駅伝3区で区間賞なのに、周りからは「負けてんじゃん」丹所健が今も悔しがる理由 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

【練習改革で飛躍した3年目】

 当時、東京国際大を率いていたのは大志田秀次監督(現・明治大監督)。丹所が2年生の時までは、距離を重視し、日頃から走り込む練習が多かった。第97回箱根駅伝(2021年)でチームは総合10位に入り、辛うじてシード権を獲得したが、当時のメンバーを考えれば物足りない成績だった。大志田監督は何かを変える必要があると考えたのだろう。丹所が3年になると、距離偏重からスピード重視へと練習の組み立てを変えた。

 丹所は、それがハマったという。

「1、2年目はジョグでけっこう距離を踏むので、それでいっぱいいっぱいになって、ポイント練習はいつもキツい状態で、余力のないなかでやっていたんです。3年になって、チームとしてポイント練習にフレッシュな状態で臨み、100%消化することを重視し、同時にジョグの量を少なめにコントロールして、距離を踏むよりもスピードの強化を中心にするようになったんです。それは当時の自分の考えともマッチしていた練習メニューだったので、グーンと成長することができました」

 3年時、丹所は5月の日体大記録会5000mで13分46秒17の自己ベストをマークすると、9月の全日本インカレ5000mでは13分48秒78で3位になった。自分をコントロールする術を得て、1、2年目に積み重ねてきたものが3年目の練習で開花し、結果が出るようになった。そうしていい状態で迎えたのが、出雲駅伝だった。丹所は3区区間2位の好走で、チーム初優勝に貢献した。

「出雲の前は、かなり強度の高い練習をしていたんですけど、みんな余裕そうにやっていたんです。自分もすごく調子がよくてワクワクしていましたし、ほかの選手も自信に満ちあふれていた。これで優勝できなかったら今後もうないなというぐらい、状態がすごくよかったんです。スタート前から、駅伝では初めて緊張感もなく、これなら絶対にいけるという感覚で走れました。チームも優勝できて、すべてが自信になりました」

 だが、好事魔多し。出雲駅伝後に脚を痛めてしまった。ここで無理をして箱根駅伝に影響が出ることを危惧した丹所は、次戦の全日本大学駅伝を回避しようと考えていた。

 大会が迫るなか、大志田監督から声をかけられた。

「丹所、おまえは脚が心配なのか、それとも呼吸が心配なのか」

 その時には脚の状態は回復していた。だが、心肺機能が戻っておらず、自分が出場することでチームの順位に悪影響を及ぼすのではないかと心配していた。

「呼吸がちょっと心配です」

「なら、大丈夫だ。おまえなら走れるよ」

 大志田監督は優しい表情で、丹所にそう伝えた。そのひと言に背中を押された丹所は全日本大学駅伝に出場。6区で区間賞を獲得し、大志田監督の期待に応えた。チームは5位。箱根駅伝に向けて戦える手応えをつかんだ。

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