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【マラソン】「陸上は高校まででやめるつもりだった」近藤亮太が、順大4年時に箱根駅伝にたどり着けた理由 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

【部内選考レースでの失敗】

 順大に入ると、4年生の塩尻和也(現・富士通)の強さと注目度の高さに刺激を受けながら練習に食らいつき、1年目から箱根駅伝の登録メンバー16名入りの期待もかかったが、かなわなかった。

 翌年から近藤を取り巻く環境はいっそう厳しくなった。2年時には西澤侑真(現・トヨタ紡織)、伊豫田達弥(現・富士通)、四釜峻佑(現・ロジスティード)、野村優作(現・トヨタ自動車)、平駿介(現・クラフティア)らが、3年時には三浦龍司(現・SUBARU)が入学してきた。

「すごいメンバーが集まり、危機感と焦りしかなかったです」

 そう思ったのは、強い下級生たちの存在だけではなかった。1年の終わり、近藤は大腿骨を疲労骨折し、復活したのが2年の8月だった。走れない、苦しい時期を過ごしていたのだ。

 だが、その夏から土台づくりを始め、競技力を高めていった。3年時には箱根駅伝の予選会に出場して、1時間02分35秒でチーム内8位、総合32位でトップ通過に貢献した。

「ようやく箱根が近づいてきた。やれるぞという手応えを感じました」

 それでも、まだ絶対的な存在でなかった近藤は、年末の部内選考レースに出走した。エース級の選手以外は、登録メンバー発表の10日前に10kmの選考レースを走り、そこで結果を出す必要があるのだ。

「この時は経験不足がもろに出ました。高校時代は部員が足りないくらいなので、部内選考レースというものを経験したことがなかったんです。自分の性格的にも、人を蹴落としてでも、とはならず、レース中に譲ってしまったり......。

 また、箱根を走りたいなら、(メンバー選考で不利にならないように)多少の疲労や痛みがあっても隠すと思うんですけど、僕はバカ正直にすべてスタッフに伝えていました。

 しかもこの時、僕は箱根本番にピークを合わせようとしていたので、まだ100%の状態ではなかったんです。でも、他の選手はここにピークを持ってきて勝負した。箱根への気持ちの強さが違いましたし、逆に自分の詰めの甘さ、弱さが出てしまった。この時は、かなりショックでした」

 レース後、肩を落とす近藤は、長門監督から「次は最後の1年、チームを勝たせるように頑張るぞ」と声をかけられた。だが、予選会からこの日まで順調にきていただけに、なかなか現実を受け止めることができなかった。

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