【箱根駅伝 名ランナー列伝】竹澤健介(早稲田大学) 「日の丸ランナー」として箱根路を激走した早大の絶対エース (2ページ目)
【世界陸上&五輪シーズンは3区で激走】
3年時の竹澤はトラックで強烈な走りを連発する。4月はカージナル招待(アメリカ)10000mで日本人学生最高(当時)の27分45秒59をマーク。6月は日本インカレ5000mを制すと、日本選手権10000mで2位に入る。7月のナイト・オブ・アスレチックス(ベルギー)5000mで13分19秒00の日本学生記録(当時)を打ち立てたのだ。夏には大阪世界陸上の10000m(12位)に出場した。
トラックを連戦したあと、全日本大学駅伝は2区で区間賞・区間新の快走を見せた。しかし、大阪世界陸上後に「股関節」を痛めた影響で、箱根駅伝は3区での出走となった。不完全な状態ながら竹澤は1時間03分32秒で区間賞を獲得。12位から5位に順位を押し上げて、チームの総合2位に大きく貢献した。
「3年時はとにかく練習が積めていなかったので、箱根の前は超絶ストレスでしたね。2区を走るつもりでいたんですけど、ダメでした。ただ箱根は思ったよりペースがよくて、渡辺さんから『休んでいいよ』と声をかけられたのを覚えています。それ以外は脚が痛くて覚えていません。上野さん(裕一郎、中央大)が失速してくれたので、降ってきた区間賞でした」
五輪イヤーとなった2008年、竹澤は箱根駅伝以降なかなか姿を見せなかった。試合復帰したのは6月の日本選手権5000m。約半年ぶりのレースながら研ぎ澄まされた集中力で2位を確保する。そして日本人の現役学生では44年ぶりとなる長距離種目での五輪代表をつかんだ。
北京五輪は10000mが28位(28分23秒28)、5000mは予選で7着(13分49秒42)だった。そして最後の箱根駅伝は3区に登場。東海大・佐藤悠基との"エース対決"が注目を浴びた。
ふたりが競り合うシーンはなかったが、竹澤は6位から2位に、佐藤は18位から5位に順位を押し上げる。竹澤は区間記録を32秒も塗り替える1時間01分40秒で区間賞に輝いた。
「練習ができていなかったので、とにかく60分間ひたすら集中しました。悠基が保持していた区間記録も把握していなかったですし、総合優勝するなら自分のところでどう走るのか。そこしか頭になかったんです」
竹澤はV候補だった駒澤大との差を広げることに注力するも、総合優勝は1年生だった柏原竜二が5区を快走した東洋大だった。早大は41秒届かず、2年連続の準優勝に終わった。
3、4年時はチームのために必死に箱根路を駆け抜けた竹澤。学生時代をこう振り返る。
「もしかすると、ちょっと無理しすぎた部分があったかもしれません。でも僕の人生ですし、それを失敗として終わらせるのではなく、指導者として選手を伸ばすことにつながればポジティブなものになるはずです。すべて"込み込み"で僕は最高の経験をさせてもらったと思っています」
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