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東日本実業団駅伝に挑む注目の新チーム「MABP」、主将の木付琳は「ひとりでも欠けたらチームが終わる危機感でやってきた」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【チーム発足当初、不安の声を上げる選手も】

合宿明けの世田谷陸上記録会で好走。「東日本を前に自信になった」と語る photo by Suzuki Naoki合宿明けの世田谷陸上記録会で好走。「東日本を前に自信になった」と語る photo by Suzuki Naoki

 MABPの第1次夏合宿は、7月末から25日間、菅平(長野県上田市)周辺で行なわれた。1、2週間くらいの合宿を行なう大学や実業団が多いなか、異例の長さだ。チームのメインテーマは、秋の駅伝シーズンに向けての脚づくりで、木付もそれが重要だと感じていた。

「7月末から8月上旬までは土台づくりのジョグと距離走、それに補強(トレーニング)をプラスして、今後の合宿や秋以降にケガをしないための準備をしました。大学の時は3部練習で月間走行距離が1000kmを超えていましたが、今回は800km。ただ、練習の質が全然違いますし、今思えば、ここで距離を踏めたのが、すごく大きかったですね」

 8月末から9月半ばにかけては北海道の深川市と士別市で合宿を行ない、さらに9月末からは再び菅平で第3次夏合宿を張った。そのなかで、木付は自分の調子が上がるきっかけをつかんだ。

「北海道合宿からスピード練習が入ってきて、そこで3000mTT(タイムトライアル)をやったんですけど、8分06秒ぐらいで走れたんです。1km2分50秒のペースがすごくラクに感じられて、状態が上がってきたので、これからいけるなという自信になりました。大学を卒業してからの3年間は、本当に何もできなかったんですけど、走っていて楽しいなっていう感覚がやっと出てきたんです」

 木付が復活への歩みを始めるなか、チームは1次合宿からひとりも故障者を出さなかった。MABPは神野を含めて日本人選手が8名、外国人選手が2名の少数部隊だ。東日本実業団駅伝は全7区間で行なわれるため、故障で離脱する選手が出てくると、出場に危険信号がともる。

 そのため「誰ひとりとして欠けられない」という意識を共有し、コンディション管理に細心の注意を払ってきた。同時に、トレーナーの中野ジェームズ修一の指導のもと、練習前後のケアをしっかり継続できたことも大きかった。

「たまに足に痛みが出ることがありましたが、ケガにまではつながらなかった。それは中野トレーナー、木村(竣哉)トレーナーの指導があって、練習前後にしっかりストレッチができていることが大きいかなと思います」

 実は新チーム発足当初、中野が指導する補強トレーニングやケアをすることに抵抗感を覚える選手もいた。経験の少ない学生とは異なり、実業団の選手ともなれば、自身の経験則に基づいたやり方を確立しているからだ。

「みんなプライドを持ってやってきたなかで、新しいものを取り入れるのはすごく大変なことだと思うんです。抵抗感や不安の声もあったので、『最初からやらないのではなく、しっかり1年やってみて、そのうえで意見を言えばいいのではないか』という話をしました。

 神野さんもストレッチなどケアの重要性をよく言ってくださいますし、僕も合宿でみんなと一緒に時間をかけてストレッチをしました。こういうケアのやり方は大学や実業団によっては、丁寧に教えてくれないところもある。座学でも学ぶことが多かったですし、こうした積み重ねによってケガ人ゼロで合宿を終えられたのはすごいことだと思います」

 その成果が世田谷の記録会で出た。

「世田谷の記録会は、タイム狙いというよりも東日本(実業団駅伝)に向けての通過点という位置づけだったんです。数日前まで菅平で合宿をして、1週間、毎日30km以上走っていたので、タイムは期待せず、レースに合わせていくという感覚もなかったんです。2830秒台で行けたらと思っていたのですが、後半に持ち直して、粘って自己ベストを出すことができました。やっぱりうれしかったですし、3月からの成長を確認することができたので、東日本を前にして大きな自信になりました」

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