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【東京世界陸上】涙の予選敗退 注目の17歳・久保凛はなぜ「何もかもうまくいかずに終わってしまった」のか? (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【悔し涙を力に成長する】

 レース直後から悔し涙を流し続けていた久保は、ミックスゾーンでも赤い目をして言葉を詰まらせながら記者の質問に答えていた。

「大会が始まる前からたくさん応援をしていただいて幸せでしたし、楽しんで走ろうと思っていたけれど、前半から全然うまくいかなくて......。スローペースになると絶対に勝てないということはわかっていました。何もかもうまくいかなくてラストまで何もできずに終わってしまいました」

 苦い思いをしたなかで収穫もあった。

「高校生のうちに世界陸上に出たいとずっと思っていたので、まずは出場できたことが収穫だと思います。でもレースでは本当に何もできなかったので、まだ力不足だというのをあらためて感じることができました。それも今回よかったかなと思っています」

 久保は、海外の選手たちのような激しい位置取り争いをするレースの経験が足りていないが、現状、競り合う選手がわずかしかいない国内のレースで経験を積むのは難しい。この世界陸上で、同じ競り合いでも2位に入ったアジア選手権とは違う、格段にレベルの高いレースを経験できたことは貴重だ。

 今後、さらに上を目指すならば競り勝つために何が必要なのか、克服しなければならないことは何か、肌で実感できたのは大きな収穫だろう。

「うしろについてのスローペースは、経験したことのないレースでした。そのなかでゴチャゴチャになったり、ほかの選手に体が当たってバランスを崩したり......。これも海外のレースでは当たり前のことだと思うので、もっと海外の試合に出て経験を積むのも必要だと思いました」

 これから先に向けて、久保はこう続ける。

「世界でもしっかり通用する選手になることが目標。まだ全然通用もしていないし、世界の舞台で思いきったレースができていないことも弱い部分だなと感じたので、またイチから磨き直して、もっと強い久保凛を見せられるように頑張りたいと思います」

 17歳で初めて経験した世界陸上での悔しさは、彼女が本気で目指す世界挑戦への第一歩になった。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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