侍ハードラーと呼ばれた為末大が考える「緊張の正体」と「世界で勝てる選手の条件」 (3ページ目)
【世界で勝てる選手とは?】
――客観的に見られるようになった今、世界選手権などの世界大会で勝てる選手の条件というのはどう考えますか?
為末 本当の自分が出てしまう場なので、取り繕っていると勝てないと思います。「見せたい自分」と「本当の自分」のギャップが大きいと、それが"恐れ"という感情につながります。
たとえば、本当の自分がバレると恐ろしいと思っている人は、本番で余裕がなくなる。僕らの世代は、「男子は大らかで豪傑みたいなのがかっこいい、強い」という考えがありました。だから、普段は豪傑のようなフリをしていても、勝負どころで余裕がなくなった時に、本来の神経質な自分が出てきてしまう。それを見せたくないと思う人ほど、そのギャップが緊張感につながってしまうと思うんです。
だから、本当の自分が出てしまうことを恐れず、ドーンと飛び込むような気持ちを持てることが必要。今の選手はもうそんなに取り繕っている選手っていないと思うけど、「変に背負い込まないで、とにかく自分を表現するんだ」とか、「楽しむんだ」と走ったほうが巡り巡っていいパフォーマンスになると思います。
「みんなの思いを背負って」という思いを持つのは悪いことじゃないけど、うまくいかないことが多いですね。そういう意味ではやっぱり、無邪気な選手は勝負強いと思います。
ただ、それはやろうと思ってできる心境じゃないので、多くの選手にできることはとにかく、「自分を精一杯表現したい」と思うこと。それで十分だし、楽しんでやれたら一番いいのではないかと思います。
――本当の勝負の舞台っていうのは、本能をむき出しにしないといけないということですね。
為末 それどころじゃなくなるっていう感覚で、演じている場合じゃなくなる。僕も2001年はうまくできたけど、だんだん大人になって社会と接していくうちに、少しずつ自分のなかに周りを意識する気持ちが出てきていました。
――2001年は無邪気な銅メダルで、2005年はうまくコントロールできた結果の銅メダルだったんですね。
為末 そうですね。同じ銅メダルでも全然違いました。僕は引退したあと「グラウンドで見た不思議な出来事が何だったのか理解したい」という気持ちがありました。そのひとつが「緊張とは何だろう」ということで、緊張に関する文献を読んだりしました。
たどり着いたのは、「緊張は社会性」ということでした。
周りから自分はどう見えているかを考えてしまう。無邪気な人が強いっていうのは、あまり社会からどう思われているかを気にしないからということ。
ただ、陸上みたいにメジャーとマイナーの間みたいな競技は、だんだん競技力上がっていくと接する社会も大きくなっていく。自分にとって慣れた社会を超えた時に、それに対してどうするかを学び、覚えていくプロセスが大事だと感じました。
――2005年の大阪大会がうまくいかなかったというのは、プレッシャーと緊張、つまり為末さんのキャパを超えていたということですか?
為末 大阪大会の時にそれを一番大きく感じていました。処理するだけの能力が自分になくて、未熟だったと思います。
ただ、今の選手たちは僕らの時代よりもオープンになっているように見えますし、いい状況だと思うので、世界陸上での活躍が楽しみです。
Profile
為末大(ためすえ・だい)
1978年5月3日生まれ。広島県出身。中学生のころから陸上で頭角を現し、高校では400mハードルで日本高校新記録と日本ジュニア新記録をマーク。大学4年時にシドニー五輪日本代表に選出され、以降五輪には3度出場した。世界陸上にも4度出場し、そのうち2回銅メダルを獲得。2004年にはプロに転向し、2012年に引退。現在はスポーツ事業を行なうほか、アスリートとしての学びをまとめた近著『熟達論:人はいつまでも学び、成長できる』を通じて、人間の熟達について探求している。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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