侍ハードラーと呼ばれた為末大が考える「緊張の正体」と「世界で勝てる選手の条件」 (2ページ目)
【陸上競技から学んだこと】
――2度目の銅メダル獲得で、「もう一度日本記録を更新できるぞ」と火がついて、2006年はハードルを封印し、スプリントに特化したのですね。
為末 ハードルは歩数がけっこう重要で、減らせるとタイムが上がるので、歩数を2歩減らしたかったんです。2001年ヘルシンキ大会は金メダルとの差が4~5mあったので「この先世界一になろうと思うなら、この5mを詰めなくては」と考えました。
これは、根本的に足を速くしてストライドも伸びないと、歩数を減らすことはできないと思ってスプリントに挑戦しました。5台目までは13歩で、そのあとに14歩を2回入れて8、9、10台目までは15歩だったのを、そのうちの2回を14歩にできれば歩数がふたつ減らせ、単純計算で4m50cmくらい縮められる。それができれば5回に1~2回は金メダルに迫れると考えました。
自分の能力としたら47秒4~5が限界かなと思ったけど、そのくらいのリスクを取ってもやってみたいと考えてスプリントに力を入れました。でも結局、2007年の世界陸上大阪大会の年に調子が下がってしまい、2008年はケガをしてチャレンジできないままで終わりました。あれができていたらどうだったんだろうな、というのは今でも思いますね。
――調子が下がり気味だったという2007年の世界陸上大阪大会は、自国開催のプレッシャーを感じていましたか?
為末 プレッシャーがかかって遅くなった結果、予選敗退でした。5月の大阪グランプリまではすごくよくて、そのあとの台湾のレースで急に走りにくくなり、そこからは全然ダメでした。
ただ、引退して陸上から外の世界に出て、世の中にはプレッシャーがかかる職業がいっぱいあることを知りました。陸上の世界では、繊細な感覚を持って走っていましたが、ちょっと閉じすぎていたように思います。「負けても何か取られるわけじゃない」くらい、もうちょっと大らかだったらよかった気がします。
だから今の選手に会う時は、「たいしたことはないよ。引退したあとに振り返ると全部いい思い出にしかならないから、楽しんじゃったほうがいいよ」と、伝えるようにしています。
――引退してからは陸上にはかかわっていないのですか?
為末 僕はたぶん陸上界から一番遠いところにいますね(笑)。この間はサッカーのイベントが仕事の関係であったので国立競技場に入ったんですが、たぶん10年振りぐらいだったんじゃないかと思います。
今回あらためて現役時代を振り返ると、よかったことや悪かったことも含めて、今の自分を作るうえで重要な経験をいっぱいしたなと思います。
陸上競技は自分の弱いところも全部がさらけ出されてしまう。「こういう時に自分はメンタルが揺れるんだ」とか、陸上は自分の人生のなかで一番学んだ場所です。
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