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【陸上】桐生祥秀は「厚底スパイク」に本格対応して8年ぶり100ⅿ9秒台「走り方も感覚もまったく違う」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【悔しい時のほうが多かったからこそ......】

 そんな桐生が厚底スパイクでの走りの感覚をしっかりつかめてきたのは、日本選手権の前ごろからだった。日本選手権本番は、記録こそ狙ったものの、決勝は勝負優先の場だったこともあり、準決勝の10秒21を上回ることはできなかったが、その後オーストリアに行っていい感覚をつかみ、その調子を落とさずこの大会に臨めた。

 桐生を指導する小島茂之コーチは、富士北麓のレースを踏まえ、ここまでの流れを振り返る。

「日本選手権くらいの調子なら参加標準は破れると思っていましたけど、今日はウォーミングアップからすごくスタートの感じがよかったので、スタートでポンと出られたら面白いなって思っていました。後半もピッチを落とさず100mをしっかり走り抜けた。

 悪い時があったから『もっと強くなりたい』という思いも強くなるものだと思います。これまでの彼を見ると、たぶん、うれしい時よりも悔しい時のほうが多かった。東京五輪もパリ五輪も個人の出場を逃がしたから、地元の世界陸上で個人種目で走りたい、標準(記録)を切って戦いたいという目標は、冬期練習に入るときから立てていた。それがしっかりできたと思います」

 スタートもうまく出て、中盤からは一気に後続を突き放して実現した2017年以来2度目の9秒台。桐生はこの8年間を感慨深く、そして前向きに振り返った。

「調子が悪くて全然速くない時もあれば、またこうやって戻ってきた時もあるけど、それが陸上競技だと思う。競技にまだいられる、まだ勝負できるというのも今日で証明できたのかなと思うので、まだまだ速いうちはずっと陸上やっていたいなと思います」

 今後も、自分に課したノルマをきっちり果たし、さらなる自己記録更新と世界との勝負を再び目指していく気持ちは強くなった。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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