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東京2025世界陸上スペシャルアンバサダーの織田裕二「世界陸上のおかけで人を素直に褒められるようになった」 (2ページ目)

  • 栗原正夫●取材・文 text by Kurihara Masao
  • ヤナガワゴーッ!●撮影 photo by Yanagawa Go!

【陸上競技を知らないからこそ全競技を一生懸命見る】

東京2025世界陸上のスペシャルアンバサダーとして精力的に活動する織田さん東京2025世界陸上のスペシャルアンバサダーとして精力的に活動する織田さん

 当初は、門外漢である織田さんのキャスター出演に対して一部で批判的な意見も聞かれた。だが、その喜怒哀楽を隠さないスタイルはいつしか視聴者の心をつかみ、時には「地球に生まれてよかったー」(07年大阪大会)といった名言も生まれた。

 
「最初の頃はヨーロッパなど海外で行なわれている大会を、日本の深夜に赤坂のスタジオでやっていましたから。深夜ラジオのオールナイト番組じゃないですけど、『これ、誰が見るの? このへんで何かやっておく?』みたいなノリもありました。

 それが(07年大阪大会より)現地から中継するようになってからは、今まで見られなかったカメラに映らないところも伝えたいと思い、体が空けばサブトラックをのぞいたり、選手に話しかけてみたり、まったく別物になりました」

 ただ前のめりなだけではない、中継に臨む真摯な姿が共感を得たのだ。

「(陸上競技を)知らないから全競技を一生懸命見るんですよ。毎回こんな長時間テレビ(モニター)を見たことないぞってくらい見る。たとえば、4×100mリレー。もう注目選手だらけで、8人同時に走られても一度に全員を見られないのでまったくわからない。だから、本当は10回見たいけど、最低3回はリプレイしてほしいとスタッフに言ったり。

 どうして陸上にハマったのか? 毎回見てると、あの選手は少し走り方が変わったとか、何か気づくことがあります。それを専門家に伝えると、『わかります? コーチが変わったんです』と教えてくれ、すると、また見えてくるものがある。25年もやってきて、選手のデビューから引退、コーチになった姿を見て、その選手たちの背景まで知ってくると、それってもうドラマ。だから、面白くないはずないですよね」


 見れば見るほど、回数を重ねるごとにハマっていったわけである。


「選手を紹介するにしても、ただ均等に紹介するだけでは陸上ファン以外に刺さることは難しい。ただ速い選手は誰か、になってしまうので。そういう意味で、実際に選手を取材させてもらい、的を絞って、選手のもうひとつの顔などを突っ込みながら紹介してきたのがよかったのかもしれません。海外の選手は日本の役者から取材されていたわけで、ずいぶん珍しがられていたと思いますが(笑)」

 22年オレゴン大会限りでのキャスター卒業が決まった時は「寂しかった」としながら、「体力的な限界も感じていて、ホッとした思いもあった」と話す織田さん。あらためて、「織田さんのキャスター退任を残念に思っていたファンは多いです」と伝えると、「良かったー。いなくなってホッとしたって言われなくて(笑)。でも、なかには織田裕二がいなくなってせいせいしたっていう人もいたんじゃないですか」と愛嬌たっぷりの笑顔を見せた。

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