パリ五輪男子1万m選考会で葛西潤が躍動! 創価大時代の箱根駅伝で味わった苦悩と成長 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【ケガなく練習が結果に直結】

 今回の日本選手権1万mは、ペースメーカーの設定を27分22秒にしたレースになった。理想をいえば、パリ五輪参加標準記録の27分00秒00を想定するところだが、参加選手の状況から世界陸連が設定する1国3名対象の世界ランキング(ポイント制)で順位を上げ、1万mの五輪出場枠27に入ることを目標にするという判断だった。

 4月30日時点の世界ランキングで日本人トップの16位にいた田澤廉(トヨタ自動車)が体調不良のため欠場。そのため、世界ランキング27位以内を狙える位置にいた太田智樹(トヨタ自動車)、昨年12月の日本選手権で日本記録(27分09秒80)を出した塩尻和也(富士通)、さらには日本歴代3位の自己記録を持つ相澤晃(旭化成)らが注目された。気温も低く、風もない好条件で迎えたレースだったが、終盤に強さを見せつけて優勝を果たしたのは、社会人2年目、ほぼノーマークの葛西(旭化成)だった。記録も日本歴代4位の27分17秒46と見事なもの。

「優勝候補にはまったく(名前が)あがっていなかったと思うけど、個人的にはいい練習ができたので、密かに狙っていました。設定ペースの27分22秒はラクに出るぐらいの練習はできていたので、ラストも設定より上げることができる算段もついていた。ラスト1200mか1000mくらいからちょっとずつリズムを自分で作り、ラスト800mで仕掛けられれば逃げ切れるかなと思っていましたが、そのとおりに走ることができました」

 実際、4000mを通過したあたりから太田が先頭に立つと、それ以降、葛西は常に4〜5番手の位置につけ、仕掛けどころを狙っていた。そして終盤になりペースメーカーのペースが少し落ち気味になると、9000m通過直前、4人になった先頭集団の最後尾から位置を一気に上げて先頭に立ち、集団をバラけさせた。その後、スパートのギアを徐々に上げ、ラスト1周でさらにペースアップ。58秒台のラップタイムで走り、2位の太田に3秒48差をつけるキレのよさを見せた。

 葛西は、今回の勝因に「ケガなく練習を積めたこと」をあげた。

「大学4年間は毎年、ほとんどケガでシーズンの半分以下ぐらいしか走れていなかったのですが、社会人1年目の昨年はケガなく年間を通して走ることができました。その成果がそのまま結果に結びついたと感じていますし、『ケガしないと結構、走れるな』と我ながら思います」と笑顔を見せた。

 練習の質量を含めた取り組みを夏までは5〜6割、秋から7〜8割くらいに上げていったことで、年明けから調子が上がってきたという。一緒に練習をする前日本記録保持者の相澤が「年が明けてからメチャメチャ強くなり、覚醒している感じがした」と言うほどだった。

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