「眠れないし、吐きそうにもなりました」女子100mハードル日本記録保持者・福部真子が苦闘の先に見出した光明 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【実力の見極め方の気づき】

 福部は全国中学校大会の四種競技で日本一に輝き、高校時代は100mハードルで1年時から三連覇という偉業を成し遂げた。大学時代、実業団選手になって以降は苦しんだ部分もあるが、2022年に見事につき抜けたことで、周囲は再び福部を評価する傾向にあった。しかし本人は2023年の失敗、自身の現在地を冷静にとらえていた。

「やはり経験の少なさですね。私はずっとトップにいたのかというとそうではありません。トップにいたのは高校までで、その後しばらく時間が経ってからいきなり日本のトップに立ち、日本記録も出した。これまで記録保持者になったことはなかったので、なった直後は『インターハイ三連覇よりも楽だな』と思っていたんです。でも少し時間が経つと、考えていた感覚とはちょっと違うことを2023年に身をもって感じさせられました」

 もし自己ベストが2022年の世界選手権で出した12秒82のままだったら、そこまでプレッシャーを感じることはなかったという。

「その前の青木さんの日本記録は12秒86だったから0秒04差しかなく、私の記録も『また抜かれる』と考えたと思います。でもいきなり73までいってしまったので」

 大きく抜け出してしまったからこその苦しみ──その記録が偶然ではなかったことを証明しなければいけないという気持ちだけが強くなっていった。

「順調にいき過ぎていたからこそ、大事なところを見落とすことがあったと思います。あの(日本選手権)後、7月にヨーロッパで4レースに出たときに気がついたのは、私はいつも海外選手の自己ベストばかり見ていたことです。でも実は12秒5の自己ベストの選手はどんな時でも(12秒)8か7で走ってくる。一方の私は12秒5だけを目指していた。一番大切なのは12秒7をどんな時でも出すところまで作っていかないと、いいコンディションに恵まれた時に(12秒)5は出せないと頭が切り替わってきました。

 私の73はグラウンド条件などいろんな要素が重なってポンと出ただけで、本来の力は12秒9。それが今の自分の実力と考えたらちょっと気が楽になりました。『ここから少しずつ上げていけばいいんじゃん』と。一気にジャンプアップではなく、コツコツやっていくことが大事だなっていうことが腑に落ちて、今の自分にできることは何回も失敗することと思いました」

 福部の競技人生は、中学時代から振り返っても山あり谷あり。「沈んでは上がって、上がっては沈んでまた上がってきた」と言う。沈んでも絶対に上がってくるメンタルの強さは福部の真骨頂とも言える。

「悪い時は『今は落ちる時だな』と切り替えて取り組めるようになりました。それが、この冬期練習を通して、だんだん整理されてきたという感じです」

後編に続く

【Profile】福部真子(ふくべ・まこ)/1995年10月生まれ、広島県出身。府中中(広島)→広島皆実高(広島)→日本体育大学→日本建設工業。中学3年時に全国中学校大会の四種競技で優勝、高校時代は100mハードルでインターハイ3連覇を達成するなど、世代のトップハードラーとして台頭。大学時代は最初の2年間は自己記録を更新できなかったが、3年目以降に徐々に記録を伸ばし始める。実業団ではシーズンごとに浮き沈みがあったが、5年目の2022年に日本選手権初優勝、初の世界選手権(オレゴン大会)出場を果たし準決勝では自身初の日本記録更新を果たし、同年9月には現在(2024年3月14日現在)も日本記録である12秒73まで記録を伸ばした。 

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

パリ五輪目指すハードラー・福部真子の「春色」ショット集

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