「リオ五輪4継リレーでの銀メダル獲得」が走れなかった高瀬慧に与えたダメージ「部屋に閉じこもってテレビも観られなくなった」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 2013年4月の織田記念陸上は、100m予選で桐生祥秀(洛南高)が10秒01を出して世間に衝撃を与えたが、その裏では2位に入った高瀬も自己記録を0秒20更新する10秒23を出していた。

 そして6月の日本選手権でも山縣亮太(慶應大)と桐生に次ぐ3位になり、200mでは3位。2度目の世界陸上は、前回のマイルリレーではなく、個人種目と4継での代表入りとなった。

 残念ながら個人200mは予選落ちだったが、4継は決勝の舞台に進み6位という結果を残した。

「(4継の決勝は)雰囲気が予選や個人の準決勝とは全然違うと感じて、緊張をとおり越してめちゃくちゃ楽しくて『ここで走れるのは幸せだ』と感動したし、『もう一度ここで走りたい』と思いました」

 そんな前向きな気持ちが、その後の高瀬の進化を加速させた。

「2013年から始めたアメリカでのトレーニングが、1年かけて消化できて2014年につながりました」と話すように、2014年4月の織田記念の100mで10秒13の自己新を出して優勝。続く静岡国際の200mでは2位ながらも、予選で日本歴代6位の20秒34を出した。そして、5月下旬の世界リレーの4継で2走を務めると、2015年世界陸上の出場権獲得に貢献した。

 その世界リレーで足を痛めてしまい不安が残るなか、9月のアジア大会の代表に選ばれた。

「ケガで欠場した桐生の代わりに出た100mで3位になれましたし、4継は4走で憧れの先輩でもある高平さんからバトンをもらって2位になれたので、よかったのかなと(笑)」

 このアジア大会は結果だけでなく、高瀬にとって掴むものがある大会になったという。

「(100mの決勝で)加速時のギアをどこで変えていくのかを初めて感じたんです。『ここだ!』という瞬間がわかり、100mで結果を出している人たちの感覚がわかりました」

 自分の走りを見つけて臨んだ2015年も各大会で安定した結果を残し、6月の日本選手権の200mで2位、100mでは初優勝を果たした。

「できれば桐生と山縣がいるなかで優勝したかったです」と振り返るが、100mと200mの2種目で世界陸上の代表に選ばれた。

 世界陸上で、男子短距離の2種目に出場する日本人選手は、1999年の伊東浩司以来と珍しいことで、逆に言えば、体への負担があるが故に2種目に出る選手がいなかったとも言えた。

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