箱根駅伝の予選会出場は「出雲、全日本への踏み台」 皇學館大・主将が語る「監督不在の3カ月」と挑戦までの経緯

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by SportsPressJP/アフロ

 寺田夏生の皇學館大陸上部監督就任とともに新体制が発表され、毛利昂太は3年生ながら主将に指名され、チームを牽引する役割を担うことになった。3月の日比勝俊監督の突然の退任、全日本大学駅伝の予選敗退を経て、寺田監督とともに初となる箱根駅伝の予選会に臨むことになるが、チームとしてどんな走りを見せてくれるのだろうか――。

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箱根駅伝予選会、地方からの挑戦

第3回・皇學館大学 後編

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2022年全日本大学駅伝で2区を疾走する毛利昂太2022年全日本大学駅伝で2区を疾走する毛利昂太この記事に関連する写真を見る

――3月に日比監督が退任された後、7月に寺田監督が来られるまでの3か月間は、どういう期間だったのでしょうか。

「学生主体でやっていく中で、各自がこうしたい、これをやりたいとか、方向性がひとつにまとまらないというか、正直、みんな自分勝手に動いた感じがありました。そういう中で全日本大学駅伝の予選会で負けてしまって......。ナメていたわけじゃないですけど、なんやかんやいっても行けるでしょみたいな過信が出てしまい、鼻をへし折られました。その時、初めて今後どうしていったらいいのか、考えるとかなり不安になりました」

――そういった中、7月に寺田さんが監督に就任されました。

「その前から練習を見に来られていたのですが、最初に監督として来られるというのを聞いた時はびっくりしました。全日本の予選会で負け、一からスタートしていかないといけないと思っていたので、寺田さんとともに上がっていこうと全員で確認しましたし、自分も主将を任されたので、責任をすごく感じました」

 皇學館大学は昨年、箱根駅伝への門戸が開かれてから日比前監督が予選会出場を宣言し、その動向が注目されるようになった。だが、3月に監督が退任後、箱根予選会出場は宙に浮いたままになり、寺田監督就任後、初日のミーティングで改めて出場について話し合いがもたれた。

――昨年、予選会出場を決めていましたが、選手たちはどう考えていたのですか。

「昨年の段階では、僕らが出ましょうと決めたのではなく、前監督が出ると決めて、それに従う感じでした。その後、その話は特にせず、寺田さんが監督に就任した初日のミーティングで話をしました。僕、個人としては最初、昨年の出雲駅伝(118位)で悔しい思いをしたので、予選会は考えず、出雲1本に全てを掛けたいと思っていたんです。でも、チームには出雲も予選会も出たいという声が多くて、そこを寺田さんが尊重してくれて最終的に予選会に挑戦することになりました。意思統一できたので、そこからは予選会に向け、しっかり練習ができています」

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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