東大医学部卒の三段跳インカレ女王・内山咲良が引退を決めた理由「研修医と陸上の両立は迷いもあったけど、すごく尊い時間でした」 (2ページ目)

  • 一ノ瀬 伸●取材・文 text by Ichinose Shin

【いつまで続けるのかな...迷いの日々】

ーーしかし、競技を続けることを決めました。昨年9月、SNSで「引退できませんでした」という投稿とともに、次の大会へのエントリーを表明されていました。

 日本選手権のあと、もう少し跳べるんじゃないかという気持ちが残ったんです。コロナ禍がまだひどくて、人に会うのもよくないという時期だったので、仕事から帰っても予定がない日が多く、練習ができたというのもあると思います。

 ただ9月には自分がコロナにかかってしまって。出場予定だった全日本実業団対抗は辞退し、次の10月の田島(直人)記念に出場しました。コロナで筋肉と体力がけっこう落ちてしまった状態でやっぱり悔いが残る結果(7位/12m38)だったので、もう一度しっかり冬練をやろうと決めたんです。

2022年の日本選手権にて 写真/本人提供2022年の日本選手権にて 写真/本人提供この記事に関連する写真を見るーー冬を越えてさらに競技を続ける決意をしたわけですね。

 でも、なんというか、その頃からいつまでこれを続けるのかなって気持ちがちょっとずつ出始めてしまったんです。研修医の仕事をしながら陸上をやることについて、病院の方々も含めて周囲は肯定的にとらえてくださっていたんですけど、自分としては自由時間のうちかなり多くの時間を陸上にさいていて、全然勉強をできてないなとも思っていて。

 医者という仕事にちゃんと向き合えてないんじゃないかと考えることもあって、迷いを抱えながら、冬練をやっていた気がします。そして、今年4月終わりに織田(幹雄)記念に出ましたが、やっぱり思っていたより跳べなかった(7位/12m61)。その頃からハムストリングの調子の悪さも感じるようになりました。

ーーケガの要因があったのでしょうか?

 たぶん、試合の出力に耐えられる体になっていなかったというのが大きな原因だとは思うんです。不安なまま練習して、質も上がりきっていないような気がしていました。

 5月には出力を上げるために、大学時代にコーチから教えてもらった「砂の坂を下る練習」を千葉の砂浜で行ないました。脚への負担は大きいけれどスピードを上げられるという練習なんですが、それを数本やっているうちに肉離れになってしまいました。

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