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「厚底シューズと練習メニューを変更したことが大きい」 マラソン引退を覚悟していたレースで優勝した岡本直己は、40歳でのパリ五輪を目指す (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 共同

【大きな転機となった2018年】

 気持ちは前向きになったが、それでもなかなか満足がいく走りができなかった。これで結果が出なければマラソンをやめよう。そう思い、ラストチャンスとして出場したのが青梅マラソン(2018年)だった。

「青梅は30キロのレースなのですが、それまでマラソンを10本(1本途中棄権)走ってきて、全部中途半端に終わっていたんです。年齢的にレースもマラソンの練習もキツくなってきた。これでダメならマラソンをきっぱり諦めて、得意な駅伝に専念しようかなと思っていました」

 意を決して臨んだ岡本は、見事優勝を果たした。その結果、ボストンマラソン出走の権利を得た。

「これが大きな転機になりました」

 諦めかけていたマラソンに、もう1回挑戦できるチャンスを得た。青梅で敗れていたらMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)はもちろん、マラソンを走る岡本の姿を見ることは、もう叶わなかっただろう。

 では、なぜ青梅で岡本は優勝することができたのだろうか。

「厚底シューズと練習メニューを変更したことが大きいですね」

 2018年は、ナイキの厚底シューズが世界を席巻したシーズンで、多くのランナーが履くようになり、岡本もそのシューズの恩恵を得た。

 練習は2017年福岡国際マラソンで優勝したソンドレノールスタッド・モーエン(ノルウェー)の練習メニューが雑誌に掲載された際、その内容が自分が取り組んでみたかったものと合致した。その練習をこなすなか、青梅に臨み、結果が出た。同年8月の北海道マラソンでも優勝し、成功体験が練習への信頼を揺るぎないものにした。東京五輪への挑戦権であるMGCの出場権利も獲得した。

 2019年、岡本は34歳でMGCに出走した。

「その時は、最後の五輪挑戦になると思っていました。自国開催で五輪を走ることはもうないと思ったので出たかったんですが、今、思えばスタートする前から負けていました。MGCは注目度でいえば五輪以上にあったような気がしましたし、周囲からの期待もすごく大きかった。そのプレッシャーにちょっと耐えられず、早く終わってほしいとしか思っていなかったんです」

 スタート前から精神的に追い込まれたなかでは、攻めるレースは難しかった。勝負は30キロ以降、激しさを増していったが、岡本は「そこまで勝負に絡めなかった」と、10位に終わった。東京五輪の出場権を獲得した選手を見て、岡本は勝利への意欲、覚悟の違いを感じた。

「勝った選手はユニフォームの対策、給水の方法、暑熱対策も完璧でした。手のひらに水をかけて温度を下げるなど、細部にこだわって対策をしていました。私は、ふだんどおりの練習をしていくことぐらいしか考えていなくて、そこまで意識が回らなかった。勝利は細部に宿ると言われていますが、そこまで突き詰められなかったのが敗因でした」

 MGCファイナルチャレンジの東京マラソン(2020年)は大迫傑(NIKE)が日本人トップとなり、五輪マラソン代表最後の椅子を獲得した。岡本は総合20位に終わり、東京五輪の夢は潰えた。

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