箱根駅伝は「5区でしとめるイメージでいた」國學院大が4位に終わった理由。前田康弘監督「内容はよかったが、攻める駅伝ができなかった」 (2ページ目)
目標設定は、3位内だった。万全でのオーダーではないなか、4位という順位は復路で盛り返すことは十分可能だった。だが、問題は上位校とのタイム差だった。
──復路は駒澤大とは4分、3位の青学大とは1分57秒差でのスタートでした。
「駒澤大はともかく、3位の青学大との差は何があるかわからない差でしたので、3位内を狙ってのスタートになりました。6区の島﨑(慎愛・4年)はスタート前は調子がよかったんですけど、途中で足を痛めてしまい(後日診断を受け疲労骨折)ちょっともったいなかったですが、よく走りきってくれました。7区の上原(琉翔・1年)は、1年生でしたけど、勝負根性があり、早稲田のキャプテン(鈴木創士)を相手にしてもビビらず、相手をリードして走っていましたからね。たくましさを感じましたし、将来うちの顔になる選手だなって思いました」
──上原選手の快走(区間6位)の要因は?
「彼は大翔の部屋っ子(同部屋)なんです。ふたりにしかわからない気持ちの支えがあったのかもしれません。8キロ地点で大翔が応援していたんです。そこで上原は手を挙げて応えて、ペースを上げました。1年間、大翔といるなかで、いろいろ学び、育ててもらったのを感じていたんだと思います。誰かのために走るとかカッコつけるのではなく、大翔の姿を見て、意気に感じて走る姿を見られたのは、指導者としてすごくうれしかったです」
──上原選手が3位に押し上げて、8区の高山(豪起・1年)選手も3位をキープしましたね。
「高山は、すごく緊張していましたね。彼は背中が固まると、どうしようってモードに入るんですけど、この時は8キロ地点でそうなっていたんです。その時、伊福(陽太・早大2年)君がきてくれて、一緒に走るなかで我に返って助けられました。よく粘ったと思うんですけど、もっと走れる選手なので、来年に期待ですね」
──8区が終わった時点でチームは3位でした。3位内という目標は見えていましたか。
「10区には、自信があったので、このままいけばイケるかなと思ったんですけど、9区の坂本(健悟・4年)は、大丈夫かなという状態だったんです。というのも実は、1月2日の朝、トイレで倒れたんですよ。僕はその時、大手町の読売新聞社に来ていてスタート前にその連絡を受けたので、心中、めちゃくちゃになっていました。大翔が様子を見てくれて、午前中に休んで午後動かしたら大丈夫になったのですが、その動画を見たり、コーチやトレーナーと話をして、本人もやりますということで9区に決めたんです。坂本はギリギリだったと思うんですけど(区間10位)、僕らもギリギリの勝負でしたね。単独走だとヤバいなって思っていたんですけど、9区でまさかの集団走になり、誰かのうしろについて走ればよかったので、そこはラッキーでした。最後に岸本(大紀・青学大4年)君がドカンときて、全部かっさらっていきましたけど(苦笑)」
──10区の佐藤(快成・2年)選手は、区間4位の走りで総合4位までもってきました。
「佐藤は11月からぐっと上がってきていたので、起用したいと思っていました。駒澤大、中央大が前に行ってしまって、青学大と最後36秒差になったので、もうワンプッシュかなと思ったんですが、そんなに甘くなかったですね」
──総合4位という結果をどうとらえていますか。
「目標の3位よりも下ですけど、内容はよかったと思います。駒澤大を少しでも慌てさせようと思っていましたが、攻める駅伝ができなかった。結局のところまだまだ力が足りないと感じましたね」
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。
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