早稲田大学新駅伝監督・花田勝彦の目に映った問題点。「駅伝の変化に対応しきれていなかった」
早稲田大学競走部駅伝監督
花田勝彦インタビュー・前編
名門・早稲田大学の復活をかけて、6月に競走部の駅伝監督に就任した花田勝彦。早大OBであり、上武大学で12年間、GMOインターネットグループ(以下、GMO)で6年間、指導者としての道を歩み続け、母校に戻ってきた。長い指導経験で培われた花田監督の指導の軸となるものはどういうものなのか。そして、早大をどう立て直していくのだろうか──。
妙高高原での3次合宿時に取材に応じてくれた早稲田大学・花田勝彦駅伝監督この記事に関連する写真を見る
──花田監督の指導の軸となるものは、どういったことでしょうか。
「上武大学とGMOで長年、指導に携わってきましたが、自分の根底にあるのが、個人をしっかり伸ばしたうえでのチーム作りです。そこは、早稲田でもブレないようにやっていきたいですね」
──上武大学は、個というよりも全体主義で強くしていくイメージがありましたが、個を重視するスタイルで指導されていたのですか。
「そうですね。上武にも長谷川(裕介・エスビー)、山岸(宏貴・GMO)が伸びてきたように、先を見すえて別メニューでやっていた選手はいました。ただ、部員が70~80名いましたし、そこまで能力が及ばない学生もたくさんいましたので、そこはグループ分けしつつ、全体で押し上げていく感じでしたね。その点、早稲田は個が強い選手が多いので、個人でやる割合が増えています。上武が個人30%、全体70%なのが、早稲田は個人70%、全体が30%というイメージです」
──自主性を重んじ、個別メニューになると強化がしやすい一方で、緩みの原因にもなりかねないとも思います。
「上武の時は部員が多かったので、私ひとりでは見きれない状態でした。私以外に専任のコーチと多くの学生マネージャーがいましたので、自主性を大事にしつつも練習に穴が出ないように管理するところもありました。早稲田は長距離が30人ぐらいしかいないですし、週末には(チーム戦略アドバイザーの)相楽(豊)君が来てくれるので、私ひとりでも対応できています。また、高校時代から結果を出している選手が多く、意識も高いので、自主性を重んじたから緩んでしまう選手は、早稲田には少ないですね」
上武大で、花田監督は2008年にチームとして箱根駅伝予選会を3位で突破して以来、8年連続で箱根駅伝出場を果たす。その後、2016年4月にGMOインターネットグループの監督に就任した。
──大学と実業団の監督はまったく別な感じがしますが、実際に指導されてその違いをどういうところに感じましたか。
「大学は国内のトップを目指していきますし、チームとしてはある一定のレベルまで上げていけば戦えるんです。でも、実業団は戦う先が国内から世界になりますし、やることのレベルもどんどん上がっていきます。高いところには限界がないですからね。そうなるとよりハードで苦しいトレーニングをしなければならないのですが、これが頑張れと言ってもなかなか頑張れるものでもないんです。選手の意志やモチベーションの問題もあるので、自分が選手の頃もそうでしたが難しいですね」
──個人の成長という部分では、実業団のほうがより実現しやすい感があります。
「個人の指導という点では、同じなんですけど、実業団に入ってくるまでのプロセスというか、それぞれ歩んできた道が違うので、私が考える練習とうまくかみ合わない選手も出てくるんです。私がこの選手は、この練習をすればもっと速く走れるなと思って提案しても本人は今までの流れやストーリーがあるので、『いや、こういう形のほうがいいです』という考えのギャップが起こるんです」
──上武大とGMOの指導で得たものとは、どういうものだったのでしょうか?
「上武では何もない立ち上げのところからスタートし、力が足りない選手を4年間で強くするという、自分が大学時代に歩んでこなかった経験がたくさんできたので、すごく勉強になりました。逆にGMOでは、日本のトップレベルの選手を、それぞれの個性を活かしながらいかに伸ばしていくかということを経験できた。なかでも吉田(祐也・GMO)が本当に日本のトップレベルの選手になって、大迫(傑・ナイキ)君とコミュニケーションを取ったりして、世界のトップを獲るためのトレーニングなどを情報交換できたことは私自身にとっても大きかったですね。ただ、GMOでは周囲が期待する結果を残せなかった。そういう部分では苦しんだ6年間でしたが、そのことも早稲田で指導する際に活きてくるのかなと思っています」
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