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女子短距離が熱い。日本選手権優勝経験者の復活とボブスレーから陸上で輝くニュースター誕生 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 高橋学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 またリレーに専念した昨シーズンを経て、自己ベストの11秒35から、次の段階の11秒2台を狙う取り組みを始めている兒玉は、この結果についてこう話す。

「学生個人やグランプリでは悔しい思いをしましたが、こうやってもう1回頑張ろうという気持ちになれたので、自分の競技人生においてはすごく大事なタイミングだったのではないかと感じています。調子が悪いなかでも1レース1レースをすごく大事にしていたし、前の形に戻すというよりも自分のやりたい動きを追求してきました。新しいものに挑戦することで11秒2台も見えてくると思うので、少しでも前進しようと思っています」

 今回の2位で11秒40というタイムは、彼女にとっては納得のできるものだった。

 そんな実績を持つふたりを破って初優勝を果たした君嶋は笑顔でこう振り返った。

「今日のテーマは『勝ち獲る』というのだったので、有言実行できてよかったです。予選、準決、決勝というそれぞれのレースでも、いいところが垣間見えたのでよかったと思います」

 26歳で初タイトルを獲得した君嶋は、中学2年で全日本中学の200mで日本中学新を出して優勝して注目さていた。そこからは伸び悩み、日体大時代には陸上との二刀流でボブスレーに挑戦。女子2人乗りのブレーカー(スタートでそりを押し、ゴール後にはブレーキを操作する役)としてワールドカップや世界選手権に出場。パイロットの押切麻季亜(スピードスケート、押切美沙紀の妹)と組んで2016年12月のヨーロッパカップ優勝や、2017年2月の世界選手権7位という成績を残して平昌五輪出場を目指した。

 だが平昌五輪は出場権を獲得できず、その翌シーズンには日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟が女子ボブスレーの海外派遣を取りやめた。そのため、北京五輪で正式種目になるモノボブ(女子1人乗り)挑戦を考えたが、連盟の方針で挑戦が無理になり、次はスケルトンに取り組もうと考えた。しかし、五輪出場権を獲得するために必要なワールドカップ遠征も困難になったため、冬季競技は一時断念せざるを得なかった。

「今の会社には2020年に『陸上とボブスレー、スケルトンの三刀流で頑張ります』と入社したけど、いろいろ考えて今は陸上に専念する形のほうがいいと思いました」と、東京五輪を目標として、陸上に専念した。

「ボブスレーをやっていたのは大学院時代でしたが、その頃、自分の100mの記録向上につながるコンディショニングの論文を書いていました。毎日練習内容や体重、体脂肪率を計測していたけど、当時は(168cmで)体脂肪率は28%で体重も最高で72㎏でした。今は体重が55~56㎏くらいで体脂肪率も10~12%なので、陸上競技に適した体になっていると思います」

 大学院で学んだことも生かし、3年計画ではじめた試みのなかで体も陸上競技仕様になってきたことが、今の結果につながったのだ。

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