設楽悠太が受け継ぐ「ホンダイズム」。
狙うはニューイヤー駅伝初優勝
知られざる実業団陸上の現実~駅伝&個人の闘い
Honda(2)
設楽悠太はHondaのエースであり、日本長距離界のトップランナーのひとりである。
東洋大時代、箱根駅伝は1年から4年まで続けて走り、2年時は7区で区間新記録をマークし、総合優勝に貢献。4年時は3区を走り、区間賞(歴代4位)の好走で往路優勝、総合優勝に貢献した。
2018年の東京マラソンで日本記録(当時)をマークした設楽悠太 卒業後は、どこに行くのか----。東洋大のエースの行方に大きな関心が寄せられたが、設楽が選択したのがHondaだった。
「まず環境を変えたくなかったからです。Hondaの選手が東洋大のグラウンドを借りて練習しているのを大学時代からずっと見てきましたし、入社しても練習を慣れた環境でできるというのがあった。あと合宿に参加させてもらった時、上下関係も少なく、雰囲気もよかった。このチームなら強くなれると思ったので決めました」
入社後、力を発揮できた理由に練習内容があった。
「ベースの練習があり、そのうえで個人練習は任されている。それがよかったというのはあります。大学時代は決められた練習があって、それをしっかりやるだけの感じだったのですが、社会人は自由度が大きい分、結果を出さないと生き残れない。最初は試行錯誤が続きましたが、今はやっと自分の練習を見つけることができて、自己管理もできるようになりました」
練習方法、調整方法が確立された成果は、結果となって表われた。
2018年の東京マラソンで2時間6分11秒をマーク(総合2位/日本人トップ)し、日本記録を16年ぶりに更新した。マラソン日本記録更新の報奨金1億円を手にし、MGCの出場権も獲得した。
2019年のMGCではスタート直後に飛び出し、15キロ地点では2位集団に2分13秒の差をつけた。暑さの影響もあって37キロ地点でとらえられ、最終的に14位に終わったが、設楽が見せた積極的な走りと度胸に感銘を受けたという声が広がった。
従来の概念や枠にとらわれずにトライする。創業者・本田宗一郎の精神が設楽にも受け継がれているように思える。
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