高橋尚子、シドニー金の舞台裏。小出監督の戦略と父に投げたサングラス (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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 ペースを少し上げた先頭集団は、12km手前でレンデルスを吸収。15kmでは22人に絞られた。ロルーペは10km過ぎですでに脱落しており、予想外の展開だった。そんななかで、高橋が最初の動きを見せたのは18km付近だった。

 この仕掛けで集団は一気に崩れ、20km通過でついてきたのはシモンと市橋、エスタ・ワンジル(ケニア)の3人。ワンジルは、中間点前で遅れ、高橋、シモン、市橋の3人で中間地点を通過した。高橋はそのまま25kmまでのラップタイムを16分38秒で走り、後続との差を広げてメダル獲得への可能性を高くした。

 レース前半は「あっという間に過ぎてしまった感じだった」と高橋は言う。

「じつは、15kmと20kmの給水を取り忘れてしまったんです。コースはぜんぶ頭の中に入っていて、15kmがどこだかわかっていたんですが、感覚的にはすごく楽で『ジョグだな』という感じで走っていたので、『まだ13kmくらいかな』と思っていました。

 他の選手の動きで給水所になったと気がついた時には、自分のドリンクが置いてあるテーブルをすでに通り過ぎていたんです。20kmの給水も、18kmで前に出てからずっとブルーラインだけを見て走っていて、『そろそろ20kmかな』と思ったら、もう中間点になっていた。それからは、飲みたくなくても取っておこうと慎重になりました」

 笑いながらそう振り返る高橋は、レース当日は7時半まで寝ていようと決めていたところ、6時に起きてしまった。そうすると走りたくてたまらなくなり、結局走ってしまったという。

「なぜか緊張もしなかったし、気持ちもそれほど盛り上がってこなかったんです。レース直前も、プレッシャーというより、『来た。ようやく来たぞ!』という感じで、走れることがただうれしかった。

 前年の世界選手権は初出場だったので、『勝たなきゃ。世界で記録も順位も出さなきゃ』と思っていましたが、結局出場できず、走れなかった。その棄権がいちばん苦しくて衝撃的な出来事でした。それがあったので、今回は、自分でちょっとでも順位や記録のことを考えてしまった時に、そんなことよりも、自分が今までやってきたことを試すだけだ。結果がどうであれ、終わった後で一緒に走った選手たちと『私、一生懸命走ったよ』『みんなも一生懸命走ったから楽しかったね』と言い合えるレースをしたいなと思っていたんです」

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