2019.10.02

高橋尚子、シドニー金の舞台裏。
小出監督の戦略と父に投げたサングラス

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第10回

東京オリンピックまで、あと1年。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 2000年9月24日のシドニー五輪女子マラソンで高橋尚子が達成した、日本女子陸上史上初の金メダル獲得。それは「勝つべき選手が順当に勝った」レースだった。

 というのも、1998年12月の、タイ・バンコクで開催されたアジア大会で、高橋が見せた快走があまりにも強烈だったからだ。

シドニー五輪女子マラソンで金メダルを勝ち取った、高橋尚子 このアジア大会のレースは、高橋が全日本実業団女子駅伝で最長11.6㎞の5区を走って、2位に53秒差をつける区間新を出した1週間後だった。気温30度以上で湿度90%前後という悪条件。

 それにもかかわらず、高橋は気温の低い場所で行なわれる冬場のマラソンを上回る16分37秒、16分26秒、16分13秒、16分22秒というハイペースで突っ込んだ。中間点通過は、98年ロッテルダムマラソンでテグラ・ロルーペ(ケニア)が出した当時の世界記録の通過タイムを56秒も上回る、1時間9分15秒という驚異的なタイムだった。

 35km過ぎからはペースを落としたが、それまでの日本記録を4分01秒も更新する2時間21分47秒。アジア最高、世界歴代5位の記録をたたき出したのだ。その後、高橋は、00年3月の名古屋国際女子マラソンを大会記録の2時間22分19秒で制して代表に選ばれた。

 迎えたシドニー五輪。高橋のライバルは、ロルーペと、1月の大阪国際マラソンを2時間22分54秒で制して大会3連覇を果たした、リディア・シモン(ルーマニア)と目されていた。

 コースは、最初に1km強の急な下りがあり、後半の26㎞以降には勾配のきついアップダウンが連続する難コースだ。序盤は、マルレーン・レンデルス(ベルギー)がスタート直後に飛び出して、最初の5㎞を16分42秒で入った。一方、小出義雄監督に「17kmまでは体を温めるつもりでゆっくり行け」と指示されていた高橋は動かず、38人の大集団のなか、17分00秒で通過した。