2019.09.24

北京五輪リレー、栄光の舞台裏。
末續慎吾は「早く帰りたかった」

  • 佐久間秀実●取材・文 text by Sakuma Hidemi
  • 佐藤博之●撮影 photo by Sato Hiroyuki

【陸上短距離 レジェンドインタビュー】
末續慎吾 前編

 末續慎吾が世界陸上で快挙を達成したのは2003年のこと。パリ大会200mで、日本短距離界で初となる世界大会でのメダル(銅メダル)を獲得した。

 同年には100mで10秒03を、200mで今も日本記録である20秒03を記録。2008年の北京五輪では、4×100mの第2走を担って銅メダル(優勝したジャマイカチームが失格となり、2018年に銀メダルに繰り上げ)に貢献した。

 しかし、そんな華々しいキャリアの裏では、トップアスリートゆえのさまざまな苦悩があった。39歳になった現在も現役を続ける末續が、自身の陸上人生、今後について語った。

日本を代表するスプリンターとして活躍し、現在も現役を続ける末續慎吾――末續さんが初めて五輪出場を果たしたのは、2000年シドニー五輪でした。東海大学の2年生でしたが、当時を振り返っていただけますか?

「大学1年の時に父が亡くなったため、深夜までアルバイトをしながら、頑張って結果を出すことによって陸上を続けることができました。その頃のモチベーションは高かったですし、僕の陸上人生の基礎になったと思います。大学では、高野進先生が競技以外の部分でサポートしてくれたのも、すごくありがたかったですね」

――同大会の4×100mリレーでは、第3走を担い6位になりました。

「20歳の僕が一番若くて、朝原(宣治)さんは試合から遠のいていましたし、伊東(浩司)さんはケガ明けで無理をしていました。山崎(一彦)さんと苅部(俊二)さんもボロボロになった体に鞭を打って走っていましたね。そんな先輩方の姿を見て、『日本代表としての責任を果たさなければならない』と思いました。みんなの体の状態がよくなかったので、バトンの練習はほとんどできませんでしたが」

――その3年後、2003年の世界陸上パリ大会の200mで、見事に銅メダルを獲得しましたね。

「決勝まで進むと4レースを走ることになるのですが、その経験は初めてだったので、二次予選から気合いを入れて走ってしまい、すごく体力を消耗しました。当時の僕には、”日本人が決勝に進む”という、常識を覆す精神的なエネルギーも備わっていなかった。それでも、練習量が多かったおかげで3位になれたのかなと思います。

 メダルを手にして感じたのは、ヨーロッパではアスリートに対するリスペクトが日本の比ではないということ。それまで、アジア人が短距離で活躍するのを見たことがなかったため、衝撃を受けて喜んでいましたよ。ヨーロッパ諸国では、歴史的な快挙を成し遂げる力、精神がより尊重されているのを実感しました」