東海大史上最強。箱根駅伝「山コンビ」はいかにして誕生したのか (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Nishimura Naoki/AFLO SPORT

 往路優勝には届かなかったが、最終的に東洋大との差を1分14秒まで縮めた。ゴールすると關颯人(せき・はやと/3年)らに付き添われ、待機場所についた。西田の予想外の好走に多くのメディアが集まった。

「区間賞は? あー足りなかったですかぁ。下りに入ったあと、ギアを入れて徐々に詰めて、最後30秒ぐらい差を縮めたんですけどね。でも、最初突っ込んで後半粘るという作戦を有言実行できたのでよかったと思います。きつかったですけど、初めての5区は楽しかった。区間賞は来年にお預けですね。もう一度イチから練習して、来年は区間新で区間賞を獲り、絶対に"山の神"になります(笑)」

 西田の粘りを、6区を走る中島は寮で頼もしく見ていた。

「西田は調子がよかったので、結構やれるとは思っていたけど、まさかあそこまでとは......。東洋大との1分14秒差は、自分も含めてみんな『いける』っていう感じだった。6区を走る(東洋大の)今西(駿介)さんが速いというのは噂で聞いていましたが、自分が普通に走れば詰まると思っていました」

 中島はその日の夜、芦ノ湖に移動し、民宿に入った。

 昨年は枕が高すぎて首周辺が凝り、直前まで付き添いの選手にマッサージしてもらい、なんとか回復した。その反省を生かし、今回は枕を持参し、昨年よりも寝ることができた。

 スタートラインでは気持ちが昂った。

「本当はスタートラインに立てていなかったかもしれなかったので......。それにタイム差はあったけど、いい感じで追える。気持ちが前回とはちょっと違いましたね」

 じつは、中島は数日前まで起用されるかどうか微妙な状態だったという。1219日に東海大での記者会見があった2日後、突然左足くるぶし付近に痛みが走った。しばらくすると、歩くのもままならないほどの痛みになった。その時点で、最悪の場合を想定して、6区には絶好調の小松陽平(3年)を代打に送ることが決まった。

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