駅伝2冠を逃した東海大の「最強世代」。どこに誤算があったのか? (2ページ目)

  • 佐藤 俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

 東海大・両角速監督のレースプランは、非常に明快だった。

「4区までがひとつの勝負。4区の關(颯人/せき はやと/2年)で抜け出せるか、あるいは上位と少ない差でリレーできるか。その後、5,6,7区で頑張って、アンカーの川端にトップで渡す。川端は高島平のロードレース(20km)を59分30秒で走ったんですが、58分30秒で走れるアンカーは神奈川大の鈴木健吾くんぐらいしかいない。青学は誰がアンカーになるのか、わからないですけど、とにかく川端に渡す時、1分の差をつけて来てくれれば、逃げ切れると思います」

 選手の調子は出雲の時以上だという。昨年の全日本は風邪によるウイルス性の胃腸炎により關が出走をやめ、レースの2日前に区間変更をし、鬼塚も内臓に負担が残ったまま走ることになった。その結果、チームは低空飛行を続け、シード権を失うという憂き目にあった。

 今回は大学寮から加湿器を持ち込み、手洗い、うがい、マスクを徹底した。おかげで、コンディションを崩す選手は大会当日の朝までひとりもいなかった。

「自信を持って選手をレースに送り出すことができました」

 主務の西川雄一朗(4年)は、レース当日の朝、笑顔でそう言った。はたして、出雲駅伝のようにプランがハマるだろうか......。

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