【月報・青学陸上部】いま明かす田村和希の失速、下田裕太の激走の真実 (5ページ目)
出雲では2区の田村和がトップに立ち、襷を渡してくれたが、3区を走った下田が東海大のルーキー關颯人に抜かれた。全日本では1区を走ったが8位と出遅れ、2区の田村和がごぼう抜きしてトップに立った。下田の前後にはいつも田村和がいてフォローをしてくれた。全日本後、「一色(恭志)さんと田村に感謝だなぁ」とうなだれていた下田に対して、「誰かが誰かをカバーする。これが駅伝だから」と田村和は笑顔で返した。
下田は、この箱根でようやくその借りを返すことができたのである。
田村和は1年、下田は2年の時から箱根を走り、今シーズンはエースの一色に次ぐ存在に成長した。もっとも性格や目指す方向性は異なる。田村和は「一色さんみたいに常にエースの走りをして、チームの精神的な支柱になりたい」という。下田は「ムードメーカーとしてチームを明るく楽しくしていきたい」と自らの役割を自覚している。タイプが異なるが、ともに力があるがゆえに共鳴し合うのだろう。
また、田村和は暑さ、そして下田にはメンタルの弱さという課題がある。田村和はその暑さが影響してのペースダウンだったが、下田はメンタルを整えてきた。
「出雲と全日本は状態がよかったのに走れなくて、それはメンタルの問題だというのはわかっていました。それは自分で克服しないといけないのですが、監督やチームメイトはそのことを知っているので、いろんなことをやって盛り上げてくれた。
それから12月の防府マラソンで橋本(崚・現GMOアスリーツ)さんが勝ったのも大きかったです。優勝はメンタルの要素がすごく大きいことがわかったし、頑張っている姿がプラスになった。今回も緊張しましたけど、1年間、箱根にかけてやってきたので自分の状態もメンタルも絶対に上がってくると信じていました。実際、そうなったんで気持ちよく走ることができました」
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