足袋からシューズへ。国産「ハリマヤ」が世界のマラソンを制した (4ページ目)

  • 石井孝●文 text by Takashi Ishii

 こうして誕生から32年の時を経て、あらためて性能の高さを証明してみせた金栗足袋だが、足先の二股割れはキック力を分散させてしまうのではないか、との懸念もあった。そこで辛作は、それまでの足袋型からシューズ型への改良を決断する。かつて足袋の部品であるコハゼをやめたときと同様に、性能向上のためならば金栗足袋で長年築き上げた栄光や歴史も捨てる覚悟だった。

 そして開発されたのが、国産マラソンシューズ第1号ともいうべき「カナグリシューズ」である。

■愛弟子の世界最高記録と、金栗の世界最長記録■

 1953年(昭和28年)、ボストンマラソン。すでに還暦を迎えていた金栗は、自ら才能を見出した愛弟子の山田敬蔵に辛作の作った「カナグリシューズ」を履かせて、ボストンへと乗り込んだ。すると、日本人のなかでも小柄な身長157cmの山田であったが、2時間18分51秒という大会新記録で見事に優勝。これは当時の世界最高をも塗り替える大記録だった。

「山田君ありがとう、山田君ありがとう」

 ゴールで待ち受けた金栗は、まるで自分の仇を取ってくれたかのように喜んだ。大塚でその知らせを受けた辛作は、うれしさのあまりどうしていいかわからず、部屋中を歩きまわりながら「よかったよかった」とポロポロ涙を落としたという。

 金栗61歳、辛作71歳。出逢って40年の歳月が流れていた。ふたりが織りなしたマラソン足袋の物語は、「国産マラソンシューズで世界記録樹立」という大きな実を結んだ。ハリマヤ足袋店はハリマヤ運動用品と名前を変えて、スポーツシューズメーカーとして新たな第一歩を踏み出す。辛作は、終生マラソンシューズの商品名に必ず「カナグリ」の名を冠すことを金栗に約束した。

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