【箱根駅伝】「強すぎる」青学大はこうして生まれた (4ページ目)
結局は自分を追い込み過ぎて、10.5km過ぎで神野に抜かれた時には何の抵抗もできなかった。その後は低体温症になって何度も手をついて止まってしまう状態にまでなり、青学大に7分25秒遅れてようやくゴール。駒大優勝の夢は事実上、途絶えた。
復路に入っても青学大は攻めの走りをした。最も心配された6区では「前回は区間18位と大ブレーキでチームに迷惑をかけたので、この1年間は箱根の6区のためだけに練習をした」と言う村井駿が区間2位の59分11秒で駆け降り、2位、3位との差を広げた。7区の小椋裕介も「往路で優勝したと言われるのは悔しいから、みんなで復路も優勝しようと話した」という積極的な走りをして、設楽悠太の区間記録にあと8秒に迫る快走を見せた。
8区と9区は、同区間を走った経験のある4年生の高橋宗司と藤川拓也がともに区間賞を獲得。10区も三大駅伝初出場だった2年生の安藤悠哉が余裕を持って走りきり、復路でも優勝を果たした。10時間49分27秒という記録は、200m距離が長かった前回までの大会記録10時間51分36秒(12年・東洋大)を大幅に上回るものだった。
終わってみれば2位に順位を上げた駒大も11時間0分17秒。5区の馬場が前回並みに走っていても10時間55分台で、これは大会前に駒大の大八木弘明監督や東洋大の酒井俊幸監督が優勝タイムの目安にしていた記録である。それを遥かに上回ってしまった青学大はまさに「強すぎた」としか表現しようがない。
原監督は「すべてが予想以上で本当に強かったですね。あれだけ差がついたので、このレースでは涙が出るようなことはなかったです」と、笑顔で初優勝の感激にひたった。
「4年後に箱根駅伝に出場させる」という条件で大学の強化指定部になり、原監督が就任したのは今から11年前、04年のこと。3度目の挑戦だった06年予選会では16位と惨敗し、最初は8枠もらえたスポーツ特別推薦枠を1に減らされる危機もあった。だが原監督就任とともに入学した新4年生が団結し、翌年の予選会では次点の10位に。そして08年には予選会突破を果たした。
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