【マラソン】ケニア人選手はなぜ日本を目指すのか?

  • 加藤康博●文 text by Kato Yasuhiro
  • photo by Getty Images

福岡国際マラソンで優勝したケニア出身のジョセフ・ギタウも高校の時に日本にやって来た福岡国際マラソンで優勝したケニア出身のジョセフ・ギタウも高校の時に日本にやって来た 昨年12月に行なわれた全国高校駅伝では3名、今年1月の箱根駅伝では2名、そして元旦の全日本実業団駅伝では実に14名のケニア人選手が出場した。国内の陸上長距離のレースで彼らの姿はもう当たり前の光景になった。

 駅伝だけではない。マラソンでも先の福岡国際マラソンで優勝を飾ったJ・ギタウは広島の世羅(せら)高校から日本の実業団JFEスチールに進んだ日本育ち。まもなく行なわれる東京マラソンにも世界のトップランナーを迎えうつように、日本に拠点を置くケニア人選手が出場する。 

 日本にケニア人選手がやってきたのは1983年、ダグラス・ワキウリがエスビー食品に入社したのが最初と言われている。当時は同チーム所属の瀬古利彦や旭化成の宗茂・猛の宗兄弟など日本人が世界のマラソンをリードしており、「日本から学ぼう」と考える海外の選手がいても不思議はない時代だった。

 そして2000年頃から世界各地、特にヨーロッパやアメリカで賞金レースが増え、一気にケニア人選手のマラソン挑戦が増えた。貧困から脱出するチャンスを走ることで手にできるためだ。

しかし、それと並行するように日本の男子マラソンは往時の勢いを失っていった。日本にいれば駅伝を走ることを求められるし、地理的にもそうした賞金レースの開催地から遠くなる。マラソンでの一攫千金を狙うのであれば、日本に軸足を置くことは適していないように考えられる。それでもケニア人にとって日本は人気の地だという。彼らはなぜ、日本を目指すのだろうか?

「端的に申し上げて経済的なメリットが大きいからだと思います。たしかに世界の主要な賞金マラソンへの参加は難しくなりますが、そこで勝つことは誰であっても簡単ではありません。しかし日本の実業団に所属していれば、安定的に給料が支払われる。彼らにとって日本で走るチャンスを得ることは、賞金レースで勝つ夢と同じに考えられるのでしょう」

 そう語るのは日本陸上競技連盟の関幸生氏。90年代から継続してアフリカ各地のトレーニングキャンプを視察しているアフリカ陸上研究の第一人者だ。

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